
Japanisch Ausgabe
Literatur
草枕
BooksWhale-Ausgabe auf Japanisch von Natsume Sōseki
山里の旅と芸術論を重ね、孤独、非人情、美意識を詩的に描く夏目漱石の名作。
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Bucheinführung
草枕
『草枕』は、画家が山あいの温泉地を歩きながら、恋愛、芸術、自然、文明と人間感情の関係を考える小説です。物語の余白と美しい比喩が、俳句的な感覚と近代小説の思索を結びます。
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夏目漱石は1916年に没し、『草枕』は1906年に初刊行されました。作者の没年と作品の初刊年は、この日本語原文版の公版性を判断する根拠になります。
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草枕
Natsume Sōseki
草枕
夏目漱石
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山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云(い)えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧(わ)く。着想を紙に落さぬとも鏘(きゅうそう)の音(おん)は胸裏(きょうり)に起(おこ)る。丹青(たんせい)は画架(がか)に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩(ごさい)の絢爛(けんらん)は自(おのず)から心眼(しんがん)に映る。ただおのが住む世を、かく観(かん)じ得て、霊台方寸(れいだいほうすん)のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足(た)る。この故に無声(むせい)の詩人には一句なく、無色(むしょく)の画家には尺(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)するの点において、かく清浄界(しょうじょうかい)に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二(ふどうふじ)の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私慾(がりしよく)の覊絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、――千金(せんきん)の子よりも、万乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐(かい)ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏(ひょうり)のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日(こんにち)はこう思うている。――喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽(たのし)みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片(かた)づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖(ふ)えれば寝(ね)る間(ま)も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支(ささ)えている。背中(せなか)には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽(あ)き足(た)らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
余(よ)の考(かんがえ)がここまで漂流して来た時に、余の右足(うそく)は突然坐(すわ)りのわるい角石(かくいし)の端(はし)を踏み損(そ)くなった。平衡(へいこう)を保つために、すわやと前に飛び出した左足(さそく)が、仕損(しそん)じの埋(う)め合(あわ)せをすると共に、余の腰は具合よく方(ほう)三尺ほどな岩の上に卸(お)りた。肩にかけた絵の具箱が腋(わき)の下から躍(おど)り出しただけで、幸いと何(なん)の事もなかった。
立ち上がる時に向うを見ると、路(みち)から左の方にバケツを伏せたような峰が聳(そび)えている。杉か檜(ひのき)か分からないが根元(ねもと)から頂(いただ)きまでことごとく蒼黒(あおぐろ)い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引(たなび)いて、続(つ)ぎ目(め)が確(しか)と見えぬくらい靄(もや)が濃い。少し手前に禿山(はげやま)が一つ、群(ぐん)をぬきんでて眉(まゆ)に逼(せま)る。禿(は)げた側面は巨人の斧(おの)で削(けず)り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋(うず)めている。天辺(てっぺん)に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然(はっきり)している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布(けっと)が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義(なんぎ)だ。
土をならすだけならさほど手間(てま)も入(い)るまいが、土の中には大きな石がある。土は平(たい)らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩(ほりくず)した土の上に悠然(ゆうぜん)と峙(そばだ)って、吾らのために道を譲る景色(けしき)はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌(いわ)のない所でさえ歩(あ)るきよくはない。左右が高くって、中心が窪(くぼ)んで、まるで一間幅(はば)を三角に穿(く)って、その頂点が真中(まんなか)を貫(つらぬ)いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉(わた)ると云う方が適当だ。固(もと)より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲(ななまが)りへかかる。
たちまち足の下で雲雀(ひばり)の声がし出した。谷を見下(みおろ)したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙(せわ)しく、絶間(たえま)なく鳴いている。方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句(あげく)は、流れて雲に入(い)って、漂(ただよ)うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡(うち)に残るのかも知れない。
巌角(いわかど)を鋭どく廻って、按摩(あんま)なら真逆様(まっさかさま)に落つるところを、際(きわ)どく右へ切れて、横に見下(みおろ)すと、菜(な)の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金(こがね)の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上(あが)る雲雀(ひばり)が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦(す)れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
春は眠くなる。猫は鼠を捕(と)る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂(たましい)の居所(いどころ)さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒(さ)める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然(はんぜん)する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
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「おい」と声を掛けたが返事がない。
軒下(のきした)から奥を覗(のぞ)くと煤(すす)けた障子(しょうじ)が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋(わらじ)が淋(さび)しそうに庇(ひさし)から吊(つる)されて、屈托気(くったくげ)にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子(だがし)の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭(ぶんきゅうせん)が散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間の隅(すみ)に片寄せてある臼(うす)の上に、ふくれていた鶏(にわとり)が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈(どべっつい)が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜(ちゃがま)がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚(た)きつけてある。
返事がないから、無断でずっと這入(はい)って、床几(しょうぎ)の上へ腰を卸(おろ)した。鶏(にわとり)は羽摶(はばた)きをして臼(うす)から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子(しょうじ)がしめてなければ奥まで馳(か)けぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か狗(いぬ)のように考えているらしい。床几の上には一升枡(いっしょうます)ほどな煙草盆(たばこぼん)が閑静に控えて、中にはとぐろを捲(ま)いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長(ゆうちょう)に燻(いぶ)っている。雨はしだいに収まる。
しばらくすると、奥の方から足音がして、煤(すす)けた障子がさらりと開(あ)く。なかから一人の婆さんが出る。
どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈(へつい)に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気(のんき)に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世(みせ)を明(あ)け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
二三年前宝生(ほうしょう)の舞台で高砂(たかさご)を見た事がある。その時これはうつくしい活人画(かつじんが)だと思った。箒(ほうき)を担(かつ)いだ爺さんが橋懸(はしがか)りを五六歩来て、そろりと後向(うしろむき)になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真(ま)むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡(ぬ)れなさった。今火を焚(た)いて乾(かわ)かして上げましょ」
「そこをもう少し燃(も)しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二声(ふたこえ)で鶏(にわとり)を追い下(さ)げる。ここここと馳(か)け出した夫婦は、焦茶色(こげちゃいろ)の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞(ふん)を垂(た)れた。
「まあ一つ」と婆さんはいつの間(ま)にか刳(く)り抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦(こ)げている底に、一筆(ひとふで)がきの梅の花が三輪無雑作(むぞうさ)に焼き付けられている。
「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻(ごま)ねじと微塵棒(みじんぼう)を持ってくる。糞(ふん)はどこぞに着いておらぬかと眺(なが)めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
婆さんは袖無(そでな)しの上から、襷(たすき)をかけて、竈(へっつい)の前へうずくまる。余は懐(ふところ)から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。
「閑静でいいね」
「へえ、御覧の通りの山里(やまざと)で」
「鶯(うぐいす)は鳴くかね」
「ええ毎日のように鳴きます。此辺(ここら)は夏も鳴きます」
「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」
「あいにく今日(きょう)は――先刻(さっき)の雨でどこぞへ逃げました」
折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯(さっ)と風を起して一尺あまり吹き出す。
「さあ、御(お)あたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端(のきば)を見ると青い煙りが、突き当って崩(くず)れながらに、微(かす)かな痕(あと)をまだ板庇(いたびさし)にからんでいる。
「ああ、好(い)い心持ちだ、御蔭(おかげ)で生き返った」
「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌(てんぐいわ)が見え出しました」
逡巡(しゅんじゅん)として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山(ぜんざん)の一角(いっかく)は、未練もなく晴れ尽して、老嫗(ろうう)の指さす方(かた)に(さんがん)と、あら削(けず)りの柱のごとく聳(そび)えるのが天狗岩だそうだ。
余はまず天狗巌を眺(なが)めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々(はんはん)に両方を見比(みくら)べた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂(たかさご)の媼(ばば)と、蘆雪(ろせつ)のかいた山姥(やまうば)のみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄(ものすご)いものだと感じた。紅葉(もみじ)のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生(ほうしょう)の別会能(べつかいのう)を観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面(めん)は定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏(おだ)やかに、あたたかに見える。金屏(きんびょう)にも、春風(はるかぜ)にも、あるは桜にもあしらって差(さ)し支(つかえ)ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳(かざ)して、遠く向うを指(ゆびさ)している、袖無し姿の婆さんを、春の山路(やまじ)の景物として恰好(かっこう)なものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、今しばらくという途端(とたん)に、婆さんの姿勢は崩れた。
手持無沙汰(てもちぶさた)に写生帖を、火にあてて乾(かわ)かしながら、
「御婆さん、丈夫そうだね」と訊(たず)ねた。
「はい。ありがたい事に達者で――針も持ちます、苧(お)もうみます、御団子(おだんご)の粉(こ)も磨(ひ)きます」
この御婆さんに石臼(いしうす)を挽(ひ)かして見たくなった。しかしそんな注文も出来ぬから、
Inhaltsverzeichnis
In dieser Ausgabe
- 01Full text
- 02一
- 03二
- 04三
- 05四
- 06五
- 07六
- 08七
- 09八
- 10九
- 11十
- 12十一
- 13十二
- 14十三
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