Japanese Edition
Literature
河童
Japanese BooksWhale Edition by Ryunosuke Akutagawa
河童の国を通して人間社会、芸術、制度、狂気を風刺する晩年の小説。
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Book introduction
河童
「河童」は、河童の国を訪れた語り手の記録として、人間社会の制度、芸術、労働、家族、狂気を鋭く風刺する芥川龍之介晩年の代表作です。
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How this edition was prepared
This edition is based on a public domain text and has been prepared for digital reading by BooksWhale.
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芥川龍之介は1927年に没し、「河童」は1927年に発表されています。これらの年代は、この日本語原文版の公版性を判断する根拠になります。
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河童
どうか Kappa と発音してください。
芥川龍之介
Preview chapter序Preview
これはある精神病院の患者、──第二十三号がだれにでもしゃべる話である。
彼はもう三十を越しているであろう。が、一見したところはいかにも若々しい狂人で
ある。彼の半生の経験は、──いや、そんなことはどうでもよい。彼はただじっと
りょうひざ てつごうし
両膝をかかえ、時々窓の外へ目をやりながら、(鉄格子をはめた窓の外には枯れ
かし
葉さえ見えない樫の木が一本、雪曇りの空に枝を張っていた。)院長のS博士や
僕を相手に長々とこの話をしゃべりつづけた。もっとも身ぶりはしなかったわけでは
ない。彼はたとえば「驚いた」と言う時には急に顔をのけぞらせたりした。……
僕はこういう彼の話をかなり正確に写したつもりである。もしまただれか僕の筆記
に飽き足りない人があるとすれば、東京市外××村のS精神病院を尋ねてみるが
ていねい ふとん いす
よい。年よりも若い第二十三号はまず丁寧に頭を下げ、蒲団のない椅子を指さ
ゆううつ
すであろう。それから憂鬱な微笑を浮かべ、静かにこの話を繰り返すであろう。最
後に、──僕はこの話を終わった時の彼の顔色を覚えている。彼は最後に身を起
げんこつ どな
こすが早いか、たちまち拳骨をふりまわしながら、だれにでもこう怒鳴りつけるであろ
ばか しっと わいせつ
う。──「出て行け! この悪党めが! 貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、ずう
ずうしい、うぬぼれきった、残酷な、虫のいい動物なんだろう。出ていけ! この悪
党めが!」
Preview chapter一Preview
まえ かみこうち
三年前の夏のことです。僕は人並みにリュック・サックを背負い、あの上高地の
やど ほたかやま あずさがわ
温泉宿から穂高山へ登ろうとしました。穂高山へ登るのには御承知のとおり梓川
やり たけ
をさかのぼるほかはありません。僕は前に穂高山はもちろん、槍ヶ岳にも登ってい
お
ましたから、朝霧の下りた梓川の谷を案内者もつれずに登ってゆきました。朝霧の
けしき
下りた梓川の谷を──しかしその霧はいつまでたっても晴れる景色は見えません。
のち
のみならずかえって深くなるのです。僕は一時間ばかり歩いた後、一度は上高地
の温泉宿へ引き返すことにしようかと思いました。けれども上高地へ引き返すにし
ても、とにかく霧の晴れるのを待った上にしなければなりません。といって霧は一刻
ごとにずんずん深くなるばかりなのです。「ええ、いっそ登ってしまえ。」──僕はこう
くまざさ
考えましたから、梓川の谷を離れないように熊笹の中を分けてゆきました。
しかし僕の目をさえぎるものはやはり深い霧ばかりです。もっとも時々霧の中から
ぶな もみ た
太い毛生欅や樅の枝が青あおと葉を垂らしたのも見えなかったわけではありませ
ん。それからまた放牧の馬や牛も突然僕の前へ顔を出しました。けれどもそれらは
もうもう
見えたと思うと、たちまち濛々とした霧の中に隠れてしまうのです。そのうちに足もく
とお
たびれてくれば、腹もだんだん減りはじめる、──おまけに霧にぬれ透った登山服や
が
毛布なども並みたいていの重さではありません。僕はとうとう我を折りましたから、
お
岩にせかれている水の音をたよりに梓川の谷へ下りることにしました。
僕は水ぎわの岩に腰かけ、とりあえず食事にとりかかりました。コオンド・ビイフの
かん
罐を切ったり、枯れ枝を集めて火をつけたり、──そんなことをしているうちにかれこ
あいだ
れ十分はたったでしょう。その間にどこまでも意地の悪い霧はいつかほのぼのと晴
どけい
れかかりました。僕はパンをかじりながら、ちょっと腕時計をのぞいてみました。時刻
はもう一時二十分過ぎです。が、それよりも驚いたのは何か気味の悪い顔が一
まる ガラス
つ、円い腕時計の硝子の上へちらりと影を落としたことです。僕は驚いてふり返り
かっぱ
ました。すると、──僕が河童というものを見たのは実にこの時がはじめてだったので
え しらかば
す。僕の後ろにある岩の上には画にあるとおりの河童が一匹、片手は白樺の幹を
かか
抱え、片手は目の上にかざしたなり、珍しそうに僕を見おろしていました。
あ け
僕は呆っ気にとられたまま、しばらくは身動きもしずにいました。河童もやはり驚
いたとみえ、目の上の手さえ動かしません。そのうちに僕は飛び立つが早いか、岩
の上の河童へおどりかかりました。同時にまた河童も逃げ出しました。いや、おそら
くは逃げ出したのでしょう。実はひらりと身をかわしたと思うと、たちまちどこかへ消え
くまざさ
てしまったのです。僕はいよいよ驚きながら、熊笹の中を見まわしました。すると河
童は逃げ腰をしたなり、二三メエトル隔たった向こうに僕を振り返って見ているので
からだ
す。それは不思議でもなんでもありません。しかし僕に意外だったのは河童の体の
色のことです。岩の上に僕を見ていた河童は一面に灰色を帯びていました。けれ
ども今は体中すっかり緑いろに変わっているのです。僕は「畜生!」とおお声をあ
かっぱ
げ、もう一度河童へ飛びかかりました。河童が逃げ出したのはもちろんです。それ
くまざさ しゃにむに
から僕は三十分ばかり、熊笹を突きぬけ、岩を飛び越え、遮二無二河童を追い
つづけました。
さる
河童もまた足の早いことは決して猿などに劣りません。僕は夢中になって追いか
あいだ ころ
ける間に何度もその姿を見失おうとしました。のみならず足をすべらして転がったこ
とち
ともたびたびです。が、大きい橡の木が一本、太ぶとと枝を張った下へ来ると、幸
ゆ つの
いにも放牧の牛が一匹、河童の往く先へ立ちふさがりました。しかもそれは角の太
おうし
い、目を血走らせた牡牛なのです。河童はこの牡牛を見ると、何か悲鳴をあげな
がら、ひときわ高い熊笹の中へもんどりを打つように飛び込みました。僕は、──僕
も「しめた」と思いましたから、いきなりそのあとへ追いすがりました。するとそこには
なめ
僕の知らない穴でもあいていたのでしょう。僕は滑らかな河童の背中にやっと指先
やみ
がさわったと思うと、たちまち深い闇の中へまっさかさまに転げ落ちました。が、我々
とほう
人間の心はこういう危機一髪の際にも途方もないことを考えるものです。僕は「あ
かみこうち かっぱばし
っ」と思う拍子にあの上高地の温泉宿のそばに「河童橋」という橋があるのを思い
出しました。それから、──それから先のことは覚えていません。僕はただ目の前に
いなずま ま しょうき
稲妻に似たものを感じたぎり、いつの間にか正気を失っていました。
Table of contents
Inside this edition
- 01Full text
- 02序
- 03一
- 04二
- 05三
- 06四
- 07五
- 08六
- 09七
- 10八
- 11九
- 12十
- 13十一
- 14十二
- 15十三
- 16一四
- 17一五
- 18一六
- 19一七
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