Japanese Edition
Literature
雨月物語
Japanese BooksWhale Edition by Ueda Akinari
怪異、欲望、執着、旅、死者との出会いを描く江戸時代の読本。
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Book introduction
雨月物語
『雨月物語』は中国・日本の説話を踏まえながら、怪異と人間心理を濃密に描いた短編集です。幻想的な出来事の奥に、欲望、執着、哀しみが浮かび上がります。
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雨月物語は古典または著者没年の古い作品であり、成立・刊行年代および著者没年から、この日本語原文版の公版性を判断できます。
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雨月物語
上田秋成
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羅ら漢かん中ちゆうは『水すい滸こ伝でん』を著あらわして、三さん代だいにわたって口くちのきけない子こ供どもが生うまれ、紫むらさき式しき部ぶは『源げん氏じ物もの語がたり』を著あらわして、いったんは地じ獄ごくに落おちたというが、それは思おもうに、架か空くうの物もの語がたりを書かいて人ひと々びとを惑まどわせた報むくいであろう。さて、その文ぶん章しようを見みると、それぞれふつうとは違ちがう珍めずらしい趣しゆ向こうを凝こらし、文ぶんの勢いきおいは真しんに迫せまり、調ちよう子しは低くあるいは高くなめらかで、読どく者しやの心こころを共きよう鳴めいさせる。描えがかれている事じ実じつを、はるか後のちの世よの現げん在ざいにも、鏡かがみにうつるようにありありと見みせてくれるのである。私わたしにも泰たい平へいの世よのむだ話ばなしがあって、口くちをついて出でるままに吐はき出だしてみれば、雉きじが鳴なき、竜りゆうが戦たたかうような奇き怪かいな話はなしである。自じ分ぶんでもでたらめなものだと思おもう。これを拾ひろい読よみする者ものも、当とう然ぜんこれを信しん用ようするはずもない。だから私わたしの場ば合あいは人ひと々びとを惑まどわせる罪つみもなく、唇くちびるや鼻はなが欠かける報むくいを受うけることもない。明めい和わ五ご年ねん晩ばん春しゆん、雨あめがあがり、月つきが朧おぼろにかすむ夜よる、書しよ斎さいの窓まどのもとに編へん成せいして書しよ肆しに渡わたす。題だいして『雨う月げつ物もの語がたり』という。剪せん枝し畸き人じん記しるす。
◆羅ら子し、水すい滸こを撰せんし、而しかうして三さん世せ啞あ児じを生うみ、紫しゑん、源げん語ごを著あらはし、而しかうして一いつ旦たん悪あく趣しゆに堕おつるは、蓋けだし業げふの為ために偪せまらるる耳のみ。然しかり而しかうして其その文ぶんを観みるに、各おの々おの奇き態たいを奮ふるひ、啽あん哢ろう真しんに逼せまり、低てい昂かう宛ゑん転てんし、読どく者しやの心しん気きをして洞どう越ゑつたらしむる也なり。事じ実じつを千せん古こに鑑かんせらる可べし。余よ適たまたま鼓こ腹ふくの閑かん話わ有あり。口くちを衝つきて吐はき出いだす。雉きじなき竜りゆう戦たたかふ。自みづから以もつて杜づ撰さんと為なす。則すなはち之これを摘てき読どくする者もの、固もとより当まさに信しんと謂いはざるべき也なり。豈あに醜しう脣しん平へい鼻びの報むくいを求もとむ可べけん哉や。明めい和わ戊ぼ子しの晩ばん春しゆん、雨あめ霽はれ月つき朦もう朧ろうの夜よ、窓さう下かに編へん成せいし、以もつて梓し氏しに畀あたふ。題だいして雨う月げつ物もの語がたりと曰いふと云いふ。剪せん枝し畸き人じん書しよす。
●『雨う月げつ物もの語がたり』の序文は漢文で書かれている。ここではその書き下し文を掲げた。
序文の筆者「剪せん枝し畸き人じん」は上うえ田だ秋あき成なりのことである。秋成は五歳の時に痘とう瘡そうにかかり、その後遺症で右手の中指と左手の人差し指が短くなった。随筆『胆たん大だい小しよう心しん録ろく』に「翁五歳の時、痘瘡の毒つよくして、右の中指短かき事第五指の如し。又左の第二指も短折にて用に足たざれば、筆とりては右の中指なきに同じく、筆力なき事患ふべし」とある。「剪枝畸人」の「剪枝」は枝を切ることを意味するが、「枝」は手足に通じ、病で指が短くなったことをたとえた表現ととらえることができる。
長なが島しま弘ひろ明あき氏は『荘そう子し』の記述をふまえ、「剪枝畸人」の号に秋成の自負の意識を見いだしている。『荘子』人じん間かん世せい篇には、役に立つ木について「大枝ハ折ラレ、小枝ハ泄たメラル」(大きな枝は切られ、小さな枝は曲げられてしまう)とあり、役に立たない木について「ハタアニ翦き(剪)ラルルコト有ランヤ」(どうして剪きられることがあろうか)とある。またべん拇ぼ篇には「手ニ枝しナル者ハ、無用ノ指ヲ樹たツルナリ」(手で「枝」というのは、無用の指が余分にあることだ)とあり、大だい宗そう師し篇には「畸人ハ人ニ畸ことなリテ、天ニ侔ひとシキモノナリ」とある。これらをふまえれば、「剪枝畸人」とは「有用であるために手指を切り取られた(あるいは、本来役に立たない無駄な指を切り取った)、天に等しい存在」ということになる(長島弘明『上田秋成の文学』)。
この序文では、物語を書いた(つくり話をした)ために報いを受けた例として、中国小説『水すい滸こ伝でん』の作者とされる羅ら漢かん中ちゆうと、『源げん氏じ物もの語がたり』の作者である紫むらさき式しき部ぶが挙げられている。羅漢中の子孫が三代にわたり啞者であったとの説は、儒学者五ご井い蘭らん洲しゆう(一六九七~一七六二)の随筆『茗めい話わ』に『委巷叢談』から引用する形で書かれており、当時の知識人のあいだでは知られた説であったと思われる。また、紫式部が地獄に落ちたという説は中世の説話集『宝ほう物ぶつ集しゆう』や『今いま物もの語がたり』などに見られる。
秋成は『水滸伝』と『源氏物語』を称賛し、それらに対比する形で、自分の作った話は読者に信用されるはずもなく、それゆえ自分は報いを受けることもないと述べている。文字通りに受け取れば、これは自作についての謙けん遜そんである。だが、必ずしもそれだけではないだろう。『水滸伝』や『源氏物語』を名作とたたえ、それらと自作を比べること自体に、秋成の自負心をみることができるのではないか。
なお「雉きじなき竜りゆう戦たたかふ」は、奇怪なこと・不吉なことをいう。浅あさ井い了りよう意い『伽おとぎ婢ぼう子こ』(寛かん文ぶん六年〈一六六六〉刊)の序文に「怪くわい力りよく乱らん神しんをかたらずといへ共、若もし止やむことを得ざるときは、亦また述のべ著あらはして則のりをなせり。ここをもつて易えきには竜れうの野やに戦たたかふといひ、書しよには鼎かなへの中に雉きじの鳴なくことをしるし」(理屈で説明できない事柄や現象については語らぬものだが、やむを得ない時はそれらを述べて規範とした。これにより『易えき経きよう』には竜が野に戦うことをいい、『書しよ経きよう』には鼎かなえの中に雉き子じが鳴いたことを記し)とある。
Preview chapter白峯Preview
逢おう坂さか山やまの関せき守もりから通つう行こう許きよ可かを得えた私わたしは、東とう海かい道どうと東とう山さん道どうの歌うた枕まくらをめぐり、さらに西さい国ごくの歌うた枕まくらを見みようと仁にん安あん三さん年ねんの秋あきに四し国こくへ渡わたり、讃岐さぬきの国くに真み尾お坂ざかの林はやしというところに逗とう留りゆうした。
近ちかくの白しら峯みねに崇す徳とく院いんの御ご陵りようがあると聞きき、参さん詣けいしたのは十じゆう月がつの初はじめ頃ごろのことだった。そこは松まつや柏かしわが生おい茂しげり、晴はれた日ひでも小こ雨さめが降ふっているような場ば所しよで、背はい後ごには険けわしい峰みねがそびえ、深ふかい谷たにから雲うん霧むがわき、目めの前まえのものですらぼんやりしている。土つちを高たかく積つんだ上うえに石いしを三みつつ重かさねたものが、草くさに埋うもれていて、これが崇す徳とく院いんの御み墓はかかと思おもえば暗あん然ぜんとした気き分ぶんになり、夢ゆめと現実うつつの境さかいもはっきりしない。
私わたしが崇す徳とく院いんのお姿すがたをじかに拝はいしたのは、帝みかどとして執しつ務むされていた頃ころである。大おお勢ぜいの官かん人じんが畏おそれつつしんでお仕つかえしていた。譲じよう位い後ごも立りつ派ぱな上じよう皇こう御ご所しよにお住すまいになっていた。それが今いまや、人ひとも通かよわぬ深しん山ざんに葬ほうむられておいでになるとは……。帝みかどであっても前ぜん世せの因いん縁ねんがつきまとい、罪つみを逃のがれることはできないのかと、世よのはかなさが思おもわれて涙なみだがあふれた。
今こん夜やは夜よもすがらご供く養よう申もうし上あげようと、御み墓はかの前まえの平たいらな石いしの上うえに座すわり、経きよう文もんを静しずかに読よみつつ、和わ歌かを詠えいじて奉たてまつる。
「松まつ山やまに寄よせる波なみの様よう子すは昔むかしも今いまも変かわらないのに、あなた様さまは亡なくなられて形かたちもなくなってしまわれた」
なお心こころをひきしめて供く養ようをする。露つゆがどれほど袖そでを濡ぬらしたことだろう。日ひは沈しずみ、深しん山ざんの夜よるはただならぬ雰ふん囲い気きになっていく。石いしの上うえに座すわり、木この葉はが降ふりかかって、とても寒さむくて頭あたまは冴さえ、体からだは冷ひえて、何なんとなしに不ぶ気き味みな心地ここちがする。月つきは出でたが、木こ立だちが鬱うつ蒼そうと茂しげっていて月つきの光ひかりが通とおらないので、あたりは物ものの見み分わけもつかない闇やみである。ものうい心地ここちで、うとうとしていると、たしかに「円えん位い、円えん位い」と呼よぶ声こえがする。
目めを開あけて闇やみをすかし見みると、異い様ような姿すがたをした、背せの高たかい瘦やせ衰おとろえた人ひとがいて、顔かおかたち、衣ころもの色いろや模も様ようは見みえないが、こちらを向むいて立たっている。私わたくし──西さい行ぎようは仏ぶつ道どうに帰き依えした法ほう師しゆえに恐おそろしいとも思おもわず、「ここに来きたのはどなたですか」と答こたえた。その人ひとは「さっき詠よんだ和わ歌かに返へん歌かをしようと思おもって来きたのだ」と言いって、
「松まつ山やまに流ながされてきた船ふねがむなしく朽くちてしまったように、私わたしもここで死しんでしまった」
と詠よみ、「よく来きてくれた」とおっしゃるので、西さい行ぎようはそれが崇す徳とく院いんの亡ぼう霊れいであることに気きづき、地ちに額ひたいをつけて拝はいし、涙なみだを流ながして言いった。「なぜ成じよう仏ぶつせずに迷まよっていらっしゃるのですか。濁にごり穢けがれた現げん世せからお離はなれになったことをうらやましく思おもえばこそ、仏ぶつ縁えんにあずかりたいと今こん夜や、法ほう要ようをいたしておりますのに、生せい前ぜんの姿すがたで出しゆつ現げんなさったことは、もったいなくも悲かなしい御み心こころでございます。ひたすらに現げん世せへの妄もう執しゆうはお忘わすれになって、仏ぶつ果かを得えて仏ほとけの位くらいにおつきくださいませ」と、真ま心ごころをこめてお諫いさめ申もうし上あげた。
崇す徳とく院いんはからからとお笑わらいになり、「おまえは知しらないだろう、近ちかごろ世よの中なかが乱みだれているのは私わたしのしわざなのだ。生いきていたころから魔ま道どうに心こころを傾かたむけ、平へい治じの乱らんを起おこさせ、死しんでもなお朝ちよう廷ていに祟たたっているのだ。見みよ、やがて天てん下かに大おおきな乱らんを生しようじさせよう」と言いった。西さい行ぎようはこのお言こと葉ばを聞きいて涙なみだを止とどめ、「これは浅あさましいお心こころをうけたまわることです。あなた様さまはもともと聡そう明めいとのご評ひよう判ばん、王おうの道みちの道どう理りはよくわかっていらっしゃるはず。試こころみにお尋たずねいたします。保ほう元げんのご謀む叛ほんは、神かみのお示しめしになった道どう理りにも違たがわないものとして思おもい立たたれたのですか。または、ご自じ身しんの私し欲よくから計けい画かくなさったのですか。詳くわしくお話はなしください」と申もうし上あげた。
◆終夜よもすがら供く養やうしたてまつらばやと、御み墓はかの前まへのたひらなる石いしの上うへに座ざをしめて、経きやう文もん徐しづかに誦ずしつつも、かつ歌うたよみてたてまつる。
松まつ山やまの浪なみのけしきはかはらじをかたなく君きみはなりまさりけり
猶なほ心こころ怠をこたらず供けう養やうす。露つゆいかばかり袂そでにふかかりけん。日ひは没いりしほどに、山やま深ふかき夜よのさま常ただならね、石いしの牀ゆか木この葉はの衾ふすまいと寒さむく、神しん清すみ骨ほね冷ひえて、物ものとはなしに凄すざまじきここちせらる。月つきは出いでしかど、茂しげきが林もとは影かげをもらさねば、あやなき闇やみにうらぶれて、眠ねぶるともなきに、まさしく円ゑん位ゐ々ゑん々ゐとよぶ声こゑす。
眼めをひらきてすかし見みれば、其その形さま異ことなる人ひとの、背せ高たかく瘦やせおとろへたるが、顔かほのかたち、着きたる衣ころもの色いろ紋あやも見みえで、こなたにむかひて立たてるを、西さい行ぎやうもとより道だう心しんの法ほふ師しなれば、恐おそろしともなくて、ここに来きたるは誰たそと答こたふ。かの人ひといふ。前さきによみつること葉ばのかへりごと聞きこえんとて見みえつるなりとて、
松まつ山やまの浪なみにながれてこし船ふねのやがてむなしくなりにけるかな
喜うれしくもまうでつるよ、と聞きこゆるに、新しん院ゐんの霊れゐなることをしりて、地ちにぬかづき涙なみだを流ながしていふ。さりとていかに迷まよはせ給たまふや。濁ぢよく世せを厭えん離りし給たまひつることのうらやましく侍はべりてこそ、今夜こよひの法ほふ施せに随ずい縁えんしたてまつるを、現げ形ぎやうし給たまふはありがたくも悲かなしき御みこころにし侍はべり。ひたぶるに隔きやく生しやう即そく忘もうして、仏ぶつ果くは円ゑん満まんの位くらゐに昇のぼらせ給たまへと、情こころをつくして諫いさめ奉たてまつる。
新しん院ゐん呵から々からと笑わらはせ給たまひ、汝なんぢしらず、近ちか来ごろの世よの乱みだれは朕わがなす事わざなり。生いきてありし日ひより魔ま道だうにこころざしをかたぶけて、平へい治ぢの乱みだれを発おこさしめ、死しして猶なほ朝ちやう家かに祟たたりをなす。見みよ見みよ、やがて天あめが下したに大たい乱らんを生しやうぜしめん、といふ。西さい行ぎやう此この詔みことのりに涙なみだをとどめて、こは浅あさましき御みこころばへをうけ給たまはるものかな。君きみはもとよりも聡さう明めいの聞きこえましませば、王わう道だうのことわりはあきらめさせ給たまふ。こころみに討たづね請まうすべし。そも保ほう元げんの御ご謀む叛ほんは天あめの神かみの教おしへ給たまふことわりにも違たがはじとておぼし立たたせ給たまふか。又またみづからの人にん慾よくより計策たばかり給たまふか。詳つばらに告のらせ給たまへと奏まうす。
●「白しら峯みね」は、歌枕をめぐる旅を続ける主人公が四国へ渡るところから始まる。時は仁にん安あん三年(一一六八)。保ほう元げんの乱の十二年後、平へい治じの乱の九年後である。前年の仁安二年には平たいらの清きよ盛もりが太だ政じよう大だい臣じんの位についており、平へい氏しが全盛を極めていた時代であった。
Table of contents
Inside this edition
- 01Full text
- 02『雨月物語』序
- 03白峯
- 04菊花の約
- 05浅茅が宿
- 06夢応の鯉魚
- 07仏法僧
- 08吉備津の釜
- 09蛇性の婬
- 10青頭巾
- 11貧福論
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