Japanisch Ausgabe
Literatur
あらくれ
BooksWhale-Ausgabe auf Japanisch von 徳田秋声
徳田秋声の代表的自然主義小説。お島の生、労働、結婚、欲望、独立心を力強く描く。
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Bucheinführung
あらくれ
『あらくれ』は、徳田秋声が一人の女性お島の半生を通して、明治から大正期の生活感覚、商売、結婚、家族、欲望、貧しさ、自立への衝動を描いた自然主義文学の重要作です。情緒よりも生活の粘りと身体感覚が前面に出ています。
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徳田秋声 died in 1943, and あらくれ was first published or composed in 1915; these dates support the public-domain basis for this edition.
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あらくれ
徳田秋声
一
お島が養親の口から、近いうちに自分に入婿の来るよしをほのめかされた時に、彼女の頭脳には、まだ何等の分明した考えも起って来なかった。
十八になったお島は、その頃その界隈で男嫌いという評判を立てられていた。そんなことをしずとも、町屋の娘と同じに、裁縫やお琴の稽古でもしていれば、立派に年頃の綺麗な娘で通して行かれる養家の家柄ではあったが、手頭などの器用に産れついていない彼女は、じっと部屋のなかに坐っているようなことは余り好まなかったので、稚いおりから善く外へ出て田畑の土を弄ったり、若い男たちと一緒に、田植に出たり、稲刈に働いたりした。そうしてそんな荒仕事がどうかすると寧ろ彼女に適しているようにすら思われた。養蚕の季節などにも彼女は家中の誰よりも善く働いてみせた。そうして養父や養母の気に入られるのが、何よりの楽しみであった。界隈の若い者や、傭い男などから、彼女は時々揶揄われたり、猥らな真似をされたりする機会が多かった。お島はそうした男たちと一緒に働いたり、ふざけたりして燥ぐことが好であったが、誰もまだ彼女の頬や手に触れたという者はなかった。そう云う場合には、お島はいつも荒れ馬のように暴れて、小ッぴどく男の手顔を引かくか、さもなければ人前でそれを素破ぬいて辱をかかせるかして、自ら悦ばなければ止まなかった。
お島は今でもその頃のことを善く覚えているが、彼女がここへ貰われてきたのは、七つの年であった。お島は昔気質の律義な父親に手をひかれて、或日の晩方、自分に深い憎しみを持っている母親の暴い怒と惨酷な折檻から脱れるために、野原をそっち此方彷徨いていた。時は秋の末であったらしく、近在の貧しい町の休茶屋や、飲食店などには赤い柿の実が、枝ごと吊されてあったりした。父親はそれらの休み茶屋へ入って、子供の疲れた足を劬わり休めさせ、自分も茶を呑んだり、莨をふかしたりしていたが、無智なお島は、茶屋の女が剥いてくれる柿や塩煎餅などを食べて、臆病らしい目でそこらを見まわしていた。今まで赤々していた夕陽がかげって、野面からは寒い風が吹き、方々の木立や、木立の蔭の人家、黄色い懸稲、黝い畑などが、一様に夕濛靄に裹まれて、一日苦使われて疲れた体を慵げに、往来を通ってゆく駄馬の姿などが、物悲しげみえた。お島は大きな重い車をつけられて、従順に引張られてゆく動物のしょぼしょぼした目などを見ると、何となし涙ぐまれるようであった。気の荒い母親からのがれて、娘の遣場に困っている自分の父親も可哀そうであった。
お島は爾時、ひろびろした水のほとりへ出て来たように覚えている。それは尾久の渡あたりでもあったろうか、のんどりした暗碧なその水の面にはまだ真珠色の空の光がほのかに差していて、静かに漕いでゆく淋しい舟の影が一つ二つみえた。岸には波がだぶだぶと浸って、怪獣のような暗い木の影が、そこに揺めいていた。お島の幼い心も、この静かな景色を眺めているうちに、頭のうえから爪先まで、一種の畏怖と安易とにうたれて、黙ってじっと父親の痩せた手に縋っているのであった。
二
その時お島の父親は、どういう心算で水のほとりへなぞ彼女をつれて行ったのか、今考えてみても父親の心持は素より解らない。或は渡しを向うへ渡って、そこで知合の家を尋ねてお島の体の始末をする目算であったであろうが、お島はその場合、水を見ている父親の暗い顔の底に、或可恐しい惨忍な思着が潜んでいるのではないかと、ふと幼心に感づいて、怯えた。父親の顔には悔恨と懊悩の色が現われていた。
赤児のおりから里にやられていたお島は、家へ引取られてからも、気強い母親に疎まれがちであった。始終めそめそしていたお島は、どうかすると母親から、小さい手に焼火箸を押しつけられたりした。お島は涙の目で、その火箸を見詰めていながら、剛情にもその手を引込めようとはしなかった。それが一層母親の憎しみを募らせずにはおかなかった。
「この業つく張め」彼女はじりじりして、そう言って罵った。
昔は庄屋であったお島の家は、その頃も界隈の人達から尊敬されていた。祖父が将軍家の出遊のおりの休憩所として、広々した庭を献納したことなどが、家の由緒に立派な光を添えていた。その地面は今でも市民の遊園地として遺っている。庭作りとして、高貴の家へ出入していたお島の父親は、彼が一生の瑕としてお島たちの母親である彼が二度目の妻を、賤しいところから迎えた。それは彼が、時々酒を飲みに行く、近辺の或安料理屋にいる女の一人であった。彼女は家にいては能く働いたがその身状を誰も好く言うものはなかった。
お島が今の養家へ貰われて来たのは、渡場でその時行逢った父親の知合の男の口入であった。紙漉場などをもって、細々と暮していた養家では、その頃不思議な利得があって、遽に身代が太り、地所などをどしどし買入れた。お島は養親の口から、時々その折の不思議を洩れ聞いた。それは全然作物語にでもありそうな事件であった。或冬の夕暮に、放浪の旅に疲れた一人の六部が、そこへ一夜の宿を乞求めた。夜があけてから、思いがけない或幸いが、この一家を見舞うであろう由を言告げて立去った。その旅客の迹に、貴い多くの小判が、外に積んだ楮のなかから、二三日たって発見せられた。養父は大分たってから、一つはその旅客の迹を追うべく、一つは諸方の神仏に、自分の幸を感謝すべく、同じ巡礼の旅に上ったが、終にそれらしい人の姿にも出逢わなかった。左に右、養家はそれから好い事ばかりが続いた。ちょいちょい町の人達へ金を貸つけたりして、夫婦は財産の殖えるのを楽んだ。
Vorschaukapitel「あなた方はS――町の方のようですが、浜屋さんがどうかしましたのですか」 お島は、断々に耳につくその話に、ふと不安を感じながら訊いた。Vorschau
「私は東京から、あの人に少し用事があって来たものですが、お話の様子では、あの人があの山のなかで何か災難にでも逢ったと云うのでしょうか」 遊女屋の主人か、芸者町の顔利かと云うような、それらの人たちは、みんなお島の方へその目を注いだ。
金歯などをぎらぎらさせたその中の一人の話によると、浜屋は近頃自分の手に買取ったその山のある一部の森林を見廻っているとき、雨あがりの桟道にかけてある橋の板を踏すべらして、崖へ転り陥ちて怪我をしてから、病院へ担ぎこまれて、間もなく死んでしまったと云うのであった。
お島はそれを聴いたとき、あの男が、そんな不幸な死方をしたとは、信じられなかったが、その死の日や刻限までを聴知ってから、次第にその確実さが感じられて来た。
「すれば、あの人の霊が、私をここへ引寄せたのかもしれない」 お島はそうも考えながら、次第に深い失望と哀愁のなかへ心が浸されて行くのを感じた。
浜屋へついたのは、日の暮方であった。以前よく往来をしたステーションの広場には、新しい家などが建っているのが二三目についたが、俥のうえから見る大通りは、どこもかしこも変りはなかった。雨がはれあがって、しめっぽい六月の空の下に、高原地の古い町が、澱んだような静さと寂しさとで、彼女の曇んだ目に映った。
お島はその夜一夜は、むかし自分の拭掃除などをした浜屋の二階の一室に泊って、翌る日は、町のはずれにある菩提所へ墓まいりに行った。その寺は、松や杉などの深い木立のなかにある坂路のうえにあった。
松風の音の寂しい山門を出てからも、お島はまだ墓の下にあるものの執着の喘ぎが、耳につくような無気味さを感じた。彼女は急いで道をあるいた。
半日を浜屋で暮して、十二時頃お島はまた汽車に乗った。
「どこか温泉で二三日遊んでいこう」 失望の安易に弛んだ彼女は、汽車のなかでそうも考えた。
百十三
途中汽車を乗替えたり、電車に乗ったりして、お島はその日の昼少し過ぎに、遠い山のなかの或温泉場に着いた。
浴客はまだ何処にも輻湊していなかったし、途々見える貸別荘の門なども大方は閉っていて、松が六月の陽炎に蒼々と繁り、道ぞいの流れの向うに裾をひいている山には濃い青嵐が煙ってみえた。
お島の導かれたのは、ある古い家建の見晴のいい二階の一室であったが、女中に浴衣に着替えさせられたり、建物のどん底にあるような浴場へ案内されたりする度に、一人客の寂しさが感ぜられた。
浴場の窓からは、草の根から水のちびちびしみ出している赭土山が侘しげに見られ、檐端はずれに枝を差交している、山国らしい丈のひょろ長い木の梢には、小禽の声などが聞かれた。
「お一人でお寂しゅうございますでしょう」 浴後の軽い疲をおぼえて、うっとりしているところへ、女がそう言いながら膳部を運んで来た。
笑い声などを立てたことのない、この二日ばかりの旅が、物悲しげに思いかえされた。どこの部屋からか蓄音器が高調子に聞えていた。
電話室へ入って、東京の自宅の様子を聞くことのできたのは、それから大分たってからであった。小野田はまだ帰っていなかった。
「好いところだよ。旦那の留守に、お前さんも一日遊びに来たらいいだろう」 お島は四五日の逗留に、金を少し取寄せる必要を感じていたので、その事を、留守を頼んでおいた若い職人に頼んでから、そう言って誘った。
「それから順吉もつれて来て頂戴よ。あの子には散々苦労をさせて来たから、一日ゆっくり遊ばしてやりましょうよ」 お島はそうも言って頼んだ。
その晩は、水の音などが耳について、能くも睡られなかった。
夜があけると、東京から人の来るのが待たれた。そして怠屈な半日をいらいらして暮しているうちに、旋て昼を大分過ぎてから二人は女中に案内されて、お島の着替えや水菓子の入った籠などをさげて、どやどやと入って来た。部屋が急に賑かになった。
「こんな時に、私も保養をしてやりましょうと思って。でも、一人じゃつまらないからね」お島は燥いだような気持で、いつになく身綺麗にして来た若い職人や、お島の放縦な調子におずおずしている順吉に話しかけた。
「医者に勧められて湯治に来たといえば、それで済むんだよ。事によったら、上さんあの店を出て、この人に裁をやってもらって、独立でやるかも知れないよ」 お島は順吉にそうも言って、この頃考えている自分の企画をほのめかした。
Inhaltsverzeichnis
In dieser Ausgabe
- 01Full text
- 02「あなた方はS――町の方のようですが、浜屋さんがどうかしましたのですか」 お島は、断々に耳につくその話に、ふと不安を感じながら訊いた。
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