
Japanese Edition
Literature
新世帯
Japanese BooksWhale Edition by 徳田秋声
商いと家計を支える夫婦の日常から、生活の疲れやすれ違いを浮かび上がらせる徳田秋声の小説。
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Book introduction
新世帯
新吉とお作の結婚生活を、商売、家計、家の内外のやり取りに沿って描く。小さな望みや不満が積み重なり、夫婦の距離と暮らしの重さが少しずつ姿を現す。徳田秋声は大きな事件よりも日常の会話や動作に目を向け、生活を営む人々の姿を三十八の節で描き出している。
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徳田秋声は1943年没。本作は1908年発表。青空文庫の日本語原文を用い、底本案内、入力者注、ルビなどの付加情報を除いて本文を収録した。
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Preview chapter一Read preview
新吉がお作を迎えたのは、新吉が二十五、お作が二十の時、今からちょうど四年前の冬であった。
十四の時豪商の立志伝や何かで、少年の過敏な頭脳を刺戟され、東京へ飛び出してから十一年間、新川の酒問屋で、傍目もふらず滅茶苦茶に働いた。表町で小さい家を借りて、酒に醤油、薪に炭、塩などの新店を出した時も、飯喰う隙が惜しいくらい、クルクルと働き詰めでいた。始終襷がけの足袋跣のままで、店頭に腰かけて、モクモクと気忙しそうに飯を掻ッ込んでいた。
新吉はちょっといい縹致である。面長の色白で、鼻筋の通った、口元の優しい男である。ビジネスカットとかいうのに刈り込んで、襟の深い毛糸のシャツを着て、前垂がけで立ち働いている姿にすら、どことなく品があった。雪の深い水の清い山国育ちということが、皮膚の色沢の優れて美しいのでも解る。
お作を周旋したのは、同じ酒屋仲間の和泉屋という男であった。
「内儀さんを一人世話しましょう。いいのがありますぜ。」と和泉屋は、新吉の店がどうか成り立ちそうだという目論見のついた時分に口を切った。
新吉はすぐには話に乗らなかった。
「まだ海のものとも山のものとも知れねいんだからね。これなら大丈夫屋台骨が張って行けるという見越しがつかんことにゃ、私ア不安心で、とても嚊など持つ気になれやしない。嚊アを持ちゃ、子供が生れるものと覚悟せんけアなんねえしね。」とその淋しい顔に、不安らしい笑みを浮べた。
けれども新吉は、その必要は感じていた。注文取りに歩いている時でも、洗湯へ行っている間でも、小僧ばかりでは片時も安心が出来なかった。帳合いや、三度三度の飯も、自分の手と頭とを使わなければならなかった。新吉は、内儀さんを貰うと貰わないとの経済上の得失などを、深く綿密に考えていた。一々算盤珠を弾いて、口が一つ殖えればどう、二年経って子供が一人産れればどうなるということまで、出来るだけ詳しく積って見た。一年の店の利益、貯金の額、利子なども最少額に見積って、間違いのないところを、ほぼ見極めをつけて、幾年目にどれだけの資本が出来るという勘定をすることぐらい、新吉にとって興味のある仕事はなかった。
三月ばかり、内儀さんの問題で、頭脳を悩ましていたが、やっぱり貰わずにはいられなかった。
お作はそのころ本郷西片町の、ある官吏の屋敷に奉公していた。
産れは八王子のずっと手前の、ある小さい町で、叔父が伝通院前にかなりな鰹節屋を出していた。新吉は、ある日わざわざ汽車で乗り出して女の産れ在所へ身元調べに行った。
Preview chapter二Preview
お作の宅は、その町のかなり大きな荒物屋であった。鍋、桶、瀬戸物、シャボン、塵紙、草履といった物をコテコテとならべて、老舗と見えて、黝んだ太い柱がツルツルと光っていた。
新吉はすぐ近所の、怪しげな暗い飲食店へ飛び込んで、チビチビと酒を呑みながら、女を捉えて、荒物屋の身上、家族の人柄、土地の風評などを、抜け目なく訊き糺した。女は油くさい島田の首を突き出しては、酌をしていたが、知っているだけのことは話してくれた。田地が少しばかりに、小さい物置同様の、倉のあることも話した。兄が百姓をしていて、弟が土地で養子に行っていることも話した。養蚕時には養蚕もするし、そっちこっちへ金の時貸しなどをしていることも弁った。
新吉自身の家柄との権衡から言えば、あまりドッとした縁辺でもなかった。新吉の家は、今はすっかり零落しているけれど、村では筋目正しい家の一ツであった。新吉は七、八歳までは、お坊ちゃんで育った。親戚にも家柄の家がたくさんある。物は亡くしても、家の格はさまで低くなかった。
けれど、新吉はそんなことにはあまり頓着もしなかった。自分の今の分際では、それで十分だと考えた。
そのことを、同じ村から出ている友達に相談してから、新吉はようやく談を進めた。見合いは近間の寄席ですることにした。新吉はその友達と一緒に、和泉屋に連れられて、不断着のままでヒョコヒョコと出かけた。お作は薄ッぺらな小紋縮緬のような白ッぽい羽織のうえに、ショールを着て、叔父と田舎から出ている兄との真中に、少し顔を斜にして坐っていた。叔父は毛むくじゃらのような顔をして、古い二重廻しを着ていた。兄は菱なりのような顔の口の大きい男で、これも綿ネルのシャツなど着て、土くさい様子をしていた。横向きであったので、新吉は女の顔をよく見得なかった。色の白い、丸ぽちゃだということだけは解った。お作は人の肩越しに、ちょいちょい新吉の方へ目を忍ばせていたが、新吉は胸がワクワクして、頭脳が酔ったようになっていた。
寄席を出るとき、新吉は出てゆくお作の姿をチラリと見た。お作も振り顧って、正面から男の立ち姿を二、三度熟視した。お作は小柄の女で、歩く様子などは、坐っているよりもいくらかいいように思われた。
そこを出ると、和泉屋は不恰好な長い二重廻しの袖をヒラヒラさせて、一足先にお作の仲間と一緒に帰った。
「どうだい、どんな女だい。」と新吉はそっと友達に訊いた。
何だか頭脳がボッとしていた。叔父や兄貴の百姓百姓した風体が、何となく気にかかった。でも厭でたまらぬというほどでもなかった。
Preview chapter三Preview
明日は朝早く、小僧を注文取りに出して、自分は店頭でせっせと樽を滌いでいると、まだ日影の薄ら寒い街を、せかせかとこっちへやって来る男がある。柳原ものの、薄ッぺらな、例の二重廻しを着込んだ和泉屋である。
和泉屋は、羅紗の硬そうな中折帽を脱ぐと、軽く挨拶して、そのまま店頭へ腰かけ、気忙しそうに帯から莨入れを抜いて莨を吸い出した。
「君の評判は大したもんですぜ。」と和泉屋は突如に高声で弁り出した。「先方じゃもうすっかり気に入っちゃって、何が何でも一緒にしたいと言うんです。」
「冷評しちゃいけませんよ。」と新吉はやっぱりザクザクやっている。気が気でないような心持もした。
「いやまったくですよ。」と和泉屋は反り身になって、「それで話は早い方がいいからッってんで、今日にでも日取りを決めてくれろと言うんですがね、どうです、女も決して悪いて方じゃないでしょう。」と和泉屋は、それから女の身上持ちのいいこと、気立ての優しいことなどをベラベラと説き立てた。星廻りや相性のことなども弁じて、独りで呑み込んでいた。支度はもとよりあろうはずはないけれど、それでもよかれ悪しかれ、箪笥の一棹ぐらいは持って来るだろう。夜具も一組は持ち込むだろう。とにかく貰って見給え、同じ働くにも、どんなに張合いがあって面白いか。あの女なら請け合って桝新のお釜を興しますと、小汚い歯齦に泡を溜めて説き勧めた。
新吉は帳場格子の前のところに腰かけて、何やらもの足りなそうな顔をして聴いていたが、「じゃ貰おうかね。」と首を傾げながら低声に言った。
「だが、来て見て、びっくりするだろうな。何ぼ何でも、まさかこんな乱暴な宅だとは思うまい。けど、まあいいや、君に任しておくとしましょう。逃げ出されたら逃げ出された時のことだ。」
「そんなもんじゃありませんよ。物は試し、まあ貰って御覧なさい。」
和泉屋はほくほくもので帰って行った。
それから七日ばかり経ったある晩、新吉の宅には、いろいろの人が多勢集まった。前の朋輩が二人、小野という例の友達が一人――これはことに朝から詰めかけて、部屋の装飾や、今夜の料理の指揮などしてくれた。障子を張り替えたり、どこからか安い懸け物を買って来てくれなどした。新吉の着るような斜子の羽織と、何やらクタクタの袴を借りて来てくれたのも小野である。小さい口銭取りなどして、小才の利く、世話好きの男である。
料理の見積りをこの男がしてくれた時、新吉は優しい顔を顰めた。
「どうも困るな、こんな取着き身上で、そんな贅沢な真似なんかされちゃ……。何だか知んねえが、その引物とかいう物を廃そうじゃねえか。」
Table of contents
Inside this edition
- 01一
- 02二
- 03三
- 04四
- 05五
- 06六
- 07七
- 08八
- 09九
- 10十
- 11十一
- 12十二
- 13十三
- 14十四
- 15十五
- 16十六
- 17十七
- 18十八
- 19十九
- 20二十
- 21二十一
- 22二十二
- 23二十三
- 24二十四
- 25二十五
- 26二十六
- 27二十七
- 28二十八
- 29二十九
- 30三十
- 31三十一
- 32三十二
- 33三十三
- 34三十四
- 35三十五
- 36三十六
- 37三十七
- 38三十八
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