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Japanese Edition

Literature

永日小品

Japanese BooksWhale Edition by Natsume Sōseki

正月の出来事、動物、下宿や英国の記憶など、漱石の日常と想像が交差する二十五篇の小品集。

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Book introduction

永日小品

『永日小品』は、「元日」「蛇」「泥棒」「柿」など二十五篇を集めた夏目漱石の作品集です。身近な出来事を見つめる眼差しに、過去の記憶や不安、ユーモアが重なり、短い文章の中で情景が鮮やかに変化します。動物や人との出会い、下宿生活、英国での経験を含む各篇を、原作の順序に沿って収録しています。

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This edition is based on a public domain text and has been prepared for digital reading by BooksWhale.

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夏目漱石は1916年に没し、本作は1909年に発表された作品です。青空文庫の日本語原文を使用し、ルビ、入力者注、底本情報、図版を除いた本文を収録しています。

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Preview chapter元日Read preview

雑煮を食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。いずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている。着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮する傾きがある。あとのものは皆和服で、かつ不断着のままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。みんな驚いた証拠である。自分も一番あとで、やあと云った。

フロックは白い手巾を出して、用もない顔を拭いた。そうして、しきりに屠蘇を飲んだ。ほかの連中も大いに膳のものを突ついている。ところへ虚子が車で来た。これは黒い羽織に黒い紋付を着て、極めて旧式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり能をやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。そうして、一つ謡いませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。

それから二人して東北と云うものを謡った。よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだ曖昧である。その上、我ながら覚束ない声が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと云い出した。中にもフロックは、あなたの声はひょろひょろしていると云った。この連中は元来謡のうの字も心得ないもの共である。だから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。しかし、批評をされて見ると、素人でも理の当然なところだからやむをえない。馬鹿を云えという勇気も出なかった。

すると虚子が近来鼓を習っているという話しを始めた。謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと所望している。虚子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。これは囃の何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、また斬新という興味もあった。謡いましょうと引き受けた。虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、台所から七輪を持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙り始めた。みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと弾いた。ちょっと好い音がした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓の緒を締めにかかった。紋服の男が、赤い緒をいじくっているところが何となく品が好い。今度はみんな感心して見ている。

虚子はやがて羽織を脱いだ。そうして鼓を抱い込んだ。自分は少し待ってくれと頼んだ。第一彼がどこいらで鼓を打つか見当がつかないからちょっと打ち合せをしたい。虚子は、ここで掛声をいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、おやりなさいと懇に説明してくれた。自分にはとても呑み込めない。けれども合点の行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減に領承した。そこで羽衣の曲を謡い出した。春霞たなびきにけりと半行ほど来るうちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めた。はなはだ無勢力である。けれども途中から急に振るい出しては、総体の調子が崩れるから、萎靡因循のまま、少し押して行くと、虚子がやにわに大きな掛声をかけて、鼓をかんと一つ打った。

自分は虚子がこう猛烈に来ようとは夢にも予期していなかった。元来が優美な悠長なものとばかり考えていた掛声は、まるで真剣勝負のそれのように自分の鼓膜を動かした。自分の謡はこの掛声で二三度波を打った。それがようやく静まりかけた時に、虚子がまた腹いっぱいに横合から威嚇した。自分の声は威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなる。しばらくすると聞いているものがくすくす笑い出した。自分も内心から馬鹿馬鹿しくなった。その時フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、いっしょに吹き出した。

それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった。虚子は微笑しながら、仕方なしに自分の鼓に、自分の謡を合せて、めでたく謡い納めた。やがて、まだ廻らなければならない所があると云って車に乗って帰って行った。あとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょになって夫を貶した末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、襦袢の袖がぴらぴら見えたが、大変好い色だったと賞めている。フロックはたちまち賛成した。自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない。

Preview chapter蛇Preview

木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足迹の中に雨がいっぱい湛っていた。土を踏むと泥の音が蹠裏へ飛びついて来る。踵を上げるのが痛いくらいに思われた。手桶を右の手に提げているので、足の抜き差に都合が悪い。際どく踏み応える時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものを放り出したくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底に据えてしまった。危く倒れるところを手桶の柄に乗し懸って向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。蓑を着た肩の後から、三角に張った網の底がぶら下がっている。この時被った笠が少し動いた。笠のなかからひどい路だと云ったように聞えた。蓑の影はやがて雨に吹かれた。

石橋の上に立って下を見ると、黒い水が草の間から推されて来る。不断は黒節の上を三寸とは超えない底に、長い藻が、うつらうつらと揺いて、見ても奇麗な流れであるのに、今日は底から濁った。下から泥を吹き上げる、上から雨が叩く、真中を渦が重なり合って通る。しばらくこの渦を見守っていた叔父さんは、口の内で、

「獲れる」と云った。

二人は橋を渡って、すぐ左へ切れた。渦は青い田の中をうねうねと延びて行く。どこまで押して行くか分らない流れの迹を跟けて一町ほど来た。そうして広い田の中にたった二人淋しく立った。雨ばかり見える。叔父さんは笠の中から空を仰いだ。空は茶壺の葢のように暗く封じられている。そのどこからか、隙間なく雨が落ちる。立っていると、ざあっと云う音がする。これは身に着けた笠と蓑にあたる音である。それから四方の田にあたる音である。向うに見える貴王の森にあたる音も遠くから交って来るらしい。

森の上には、黒い雲が杉の梢に呼び寄せられて奥深く重なり合っている。それが自然の重みでだらりと上の方から下って来る。雲の足は今杉の頭に絡みついた。もう少しすると、森の中へ落ちそうだ。

気がついて足元を見ると、渦は限なく水上から流れて来る。貴王様の裏の池の水が、あの雲に襲われたものだろう。渦の形が急に勢いづいたように見える。叔父さんはまた捲く渦を見守って、

「獲れる」とさも何物をか取ったように云った。やがて蓑を着たまま水の中に下りた。勢いの凄じい割には、さほど深くもない。立って腰まで浸るくらいである。叔父さんは河の真中に腰を据えて、貴王の森を正面に、川上に向って、肩に担いだ網をおろした。

二人は雨の音の中にじっとして、まともに押して来る渦の恰好を眺めていた。魚がこの渦の下を、貴王の池から流されて通るに違いない。うまくかかれば大きなのが獲れると、一心に凄い水の色を見つめていた。水は固より濁っている。上皮の動く具合だけで、どんなものが、水の底を流れるか全く分りかねる。それでも瞬もせずに、水際まで浸った叔父さんの手首の動くのを待っていた。けれどもそれがなかなかに動かない。

雨脚はしだいに黒くなる。河の色はだんだん重くなる。渦の紋は劇しく水上から回って来る。この時どす黒い波が鋭く眼の前を通り過そうとする中に、ちらりと色の変った模様が見えた。瞬を容さぬとっさの光を受けたその模様には長さの感じがあった。これは大きな鰻だなと思った。

途端に流れに逆らって、網の柄を握っていた叔父さんの右の手首が、蓑の下から肩の上まで弾ね返るように動いた。続いて長いものが叔父さんの手を離れた。それが暗い雨のふりしきる中に、重たい縄のような曲線を描いて、向うの土手の上に落ちた。と思うと、草の中からむくりと鎌首を一尺ばかり持上げた。そうして持上げたまま屹と二人を見た。

「覚えていろ」

声はたしかに叔父さんの声であった。同時に鎌首は草の中に消えた。叔父さんは蒼い顔をして、蛇を投げた所を見ている。

「叔父さん、今、覚えていろと云ったのはあなたですか」

叔父さんはようやくこっちを向いた。そうして低い声で、誰だかよく分らないと答えた。今でも叔父にこの話をするたびに、誰だかよく分らないと答えては妙な顔をする。

Preview chapter泥棒Preview

寝ようと思って次の間へ出ると、炬燵の臭がぷんとした。厠の帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないと妻に注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、半鐘の音も耳に応えなかった。熟睡が時の世界を盛り潰したように正体を失った。

すると忽然として、女の泣声で眼が覚めた。聞けばもよと云う下女の声である。この下女は驚いて狼狽えるといつでも泣声を出す。この間家の赤ん坊を湯に入れた時、赤ん坊が湯気に上って、引きつけたといって五分ばかり泣声を出した。自分がこの下女の異様な声を聞いたのは、それが始めてである。啜り上げるようにして早口に物を云う。訴えるような、口説くような、詫を入れるような、情人の死を悲しむような――とうてい普通の驚愕の場合に出る、鋭くって短い感投詞の調子ではない。

自分は今云う通りこの異様の声で、眼が覚めた。声はたしかに妻の寝ている、次の部屋から出る。同時に襖を洩れて赤い火がさっと暗い書斎に射した。今開ける瞼の裏に、この光が届くや否や自分は火事だと合点して飛び起きた。そうして、突然隔ての唐紙をがらりと開けた。

その時自分は顛覆返った炬燵を想像していた。焦げた蒲団を想像していた。漲ぎる煙と、燃える畳とを想像していた。ところが開けて見ると、洋灯は例のごとく点っている。妻と子供は常の通り寝ている。炬燵は宵の位地にちゃんとある。すべてが、寝る前に見た時と同じである。平和である。暖かである。ただ下女だけが泣いている。

下女は妻の蒲団の裾を抑えるようにして早口に物を云う。妻は眼を覚まして、ぱちぱちさせるばかりで別に起きる様子もない。自分は何事が起ったのかほとんど判じかねて、敷居際に突立ったまま、ぼんやり部屋の中を見回した。途端に下女の泣声のうちに、泥棒という二字が出た。それが自分の耳に這入るや否や、すべてが解決されたように自分はたちまち妻の部屋を大股に横切って、次の間に飛び出しながら、何だ――と怒鳴りつけた。けれども飛び出した次の部屋は真暗である。続く台所の雨戸が一枚外れて、美しい月の光が部屋の入口まで射し込んでいる。自分は真夜中に人の住居の奥を照らす月影を見て、おのずから寒いと感じた。素足のまま板の間へ出て台所の流元まで来て見ると、四辺は寂としている。表を覗くと月ばかりである。自分は、戸口から一歩も外へ出る気にならなかった。

引き返して、妻の所へ来て、泥棒は逃げた、安心しろ、何も窃られやしない、と云った。妻はこの時ようやく起き上っていた。何も云わずに洋灯を持って暗い部屋まで出て来て、箪笥の前に翳した。観音開きが取り外されている。抽斗が明けたままになっている。妻は自分の顔を見て、やっぱり窃られたんですと云った。自分もようやく泥棒が窃った後で逃げたんだと気がついた。何だか急に馬鹿馬鹿しくなった。片方を見ると、泣いて起しに来た下女の蒲団が取ってある。その枕元にもう一つ箪笥がある。その箪笥の上にまた用箪笥が乗っている。暮の事なので医者の薬礼その他がこの内に這入っているのだそうだ。妻に調べさせるとこっちの方は元の通りだと云う。下女が泣いて縁側の方から飛び出したので、泥棒もやむをえず仕事の中途で逃げたのかも知れない。

そのうち、ほかの部屋に寝ていたものもみんな起きて来た。そうしてみんないろいろな事を云う。もう少し前に小用に起きたのにとか、今夜は寝つかれないで、二時頃までは眼が冴えていたのにとか、ことごとく残念そうである。そのなかで、十になる長女は、泥棒が台所から這入ったのも、泥棒がみしみし縁側を歩いたのも、すっかり知っていると云った。あらまあとお房さんが驚いている。お房さんは十八で、長女と同じ部屋に寝る親類の娘である。自分はまた床へ這入って寝た。

明くる日はこの騒動で、例よりは少し遅く起きた。顔を洗って、朝食をやっていると、台所で下女が泥棒の足痕を見つけたとか、見つけないとか騒いでいる。面倒だから書斎へ引き取った。引き取って十分も経ったかと思うと、玄関で頼むと云う声がした。勇ましい声である。台所の方へ通じないようだから、自分で取次に出て見たら、巡査が格子の前に立っていた。泥棒が這入ったそうですねと笑っている。戸締りは好くしてあったのですかと聞くから、いや、どうもあまり好くありませんと答えた。じゃ仕方がない、締りが悪いとどこからでも這入りますよ、一枚一枚雨戸へ釘を差さなくちゃいけませんと注意する。自分ははあはあと返事をしておいた。この巡査に遇ってから、悪いものは、泥棒じゃなくって、不取締な主人であるような心持になった。

巡査は台所へ廻った。そこで妻を捉まえて、紛失した物を手帳に書き付けている。繻珍の丸帯が一本ですね、――丸帯と云うのは何ですか、丸帯と書いておけば解るですか、そう、それでは繻珍の丸帯が一本と、それから……

Table of contents

Inside this edition

  1. 01元日
  2. 02蛇
  3. 03泥棒
  4. 04柿
  5. 05火鉢
  6. 06下宿
  7. 07過去の匂い
  8. 08猫の墓
  9. 09暖かい夢
  10. 10印象
  11. 11人間
  12. 12山鳥
  13. 13モナリサ
  14. 14火事
  15. 15霧
  16. 16懸物
  17. 17紀元節
  18. 18儲口
  19. 19行列
  20. 20昔
  21. 21声
  22. 22金
  23. 23心
  24. 24変化
  25. 25クレイグ先生

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