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牛肉と馬鈴薯 cover

Japanese Edition

Literature

牛肉と馬鈴薯

Japanese BooksWhale Edition by Kunikida Doppo

国木田独歩の短編。青年の会話、理想、貧しさ、食卓、近代的感傷と現実感が交差する。

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Book introduction

牛肉と馬鈴薯

『牛肉と馬鈴薯』は、国木田独歩の短編の中でも近代青年の理想と生活感を鮮やかに示す作品です。食べ物、会話、友情、貧しさ、希望、感傷を通して、明治期の若者の精神と現実の距離が浮かび上がります。

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This edition is based on a public domain text and has been prepared for digital reading by BooksWhale.

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国木田独歩 died in 1908, and 牛肉と馬鈴薯 was first published or composed in 1901; these dates support the public-domain basis for this edition.

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牛肉と馬鈴薯

国木田独歩

明治倶楽部とて芝区桜田本郷町のお堀辺に西洋作の余り立派ではないが、それでも可なりの建物があった、建物は今でもある、しかし持主が代って、今では明治倶楽部その者はなくなって了った。

この倶楽部が未だ繁盛していた頃のことである、或年の冬の夜、珍らしくも二階の食堂に燈火が点いていて、時々高く笑う声が外面に漏れていた。元来この倶楽部は夜分人の集っていることは少ないので、ストーブの煙は平常も昼間ばかり立ちのぼっているのである。

然るに八時は先刻打っても人々は未だなかなか散じそうな様子も見えない。人力車が六台玄関の横に並んでいたが、車夫どもは皆な勝手の方で例の一六勝負最中らしい。

すると一人の男、外套の襟を立てて中折帽を面深に被ったのが、真暗な中からひょっくり現われて、いきなり手荒く呼鈴を押した。

内から戸が開くと、 「竹内君は来てお出ですかね」と低い声の沈重いた調子で訊ねた。

「ハア、お出で御座います、貴様は?」と片眼の細顔の、和服を着た受付が丁寧に言った。

「これを」と出した名刺には五号活字で岡本誠夫としてあるばかり、何の肩書もない。受付はそれを受取り急いで二階に上って去ったが間もなく降りて来て 「どうぞ此方へ」と案内した、導かれて二階へ上ると、煖炉を熾に燃いていたので、ムッとする程温かい。煖炉の前には三人、他の三人は少し離れて椅子に寄っている。傍の卓子にウイスキーの壜が上ていてこっぷの飲み干したるもあり、注いだままのもあり、人々は可い加減に酒が廻わっていたのである。

岡本の姿を見るや竹内は起って、元気よく 「まアこれへ掛け給え」と一の椅子をすすめた。

岡本は容易に坐に就かない。見廻すとその中の五人は兼て一面識位はある人であるが、一人、色の白い中肉の品の可い紳士は未だ見識らぬ人である。竹内はそれと気がつき、 「ウン貴様は未だこの方を御存知ないだろう、紹介しましょう、この方は上村君と言って北海道炭鉱会社の社員の方です、上村君、この方は僕の極く旧い朋友で岡本君……」 と未だ言い了らぬに上村と呼ばれし紳士は快活な調子で 「ヤ、初めて……お書きになった物は常に拝見していますので……今後御懇意に……」 岡本は唯だ「どうかお心安く」と言ったぎり黙って了った。そして椅子に倚った。

「サアその先を……」と綿貫という背の低い、真黒の頬髭を生している紳士が言った。

「そうだ! 上村君、それから?」と井山という眼のしょぼしょぼした頭髪の薄い、痩方の紳士が促した。

「イヤ岡本君が見えたから急に行りにくくなったハハハハ」と炭鉱会社の紳士は少し羞にかんだような笑方をした。

「何ですか?」 岡本は竹内に問うた。

「イヤ至極面白いんだ、何かの話の具合で我々の人生観を話すことになってね、まア聴いて居給え名論卓説、滾々として尽きずだから」 「ナニ最早大概吐き尽したんですよ、貴様は我々俗物党と違がって真物なんだから、幸貴様のを聞きましょう、ね諸君!」 と上村は逃げかけた。

「いけないいけない、先ず君の説を終え給え!」 「是非承わりたいものです」と岡本はウイスキーを一杯、下にも置かないで飲み干した。

「僕のは岡本君の説とは恐らく正反対だろうと思うんでね、要之、理想と実際は一致しない、到底一致しない……」 「ヒヤヒヤ」と井山が調子を取った。

「果して一致しないとならば、理想に従うよりも実際に服するのが僕の理想だというのです」 「ただそれだけですか」と岡本は第二の杯を手にして唸るように言った。

「だってねエ、理想は喰べられませんものを!」と言った上村の顔は兎のようであった。

「ハハハハビフテキじゃアあるまいし!」と竹内は大口を開けて笑った。

「否ビフテキです、実際はビフテキです、スチューです」 「オムレツかね!」と今まで黙って半分眠りかけていた、真紅な顔をしている松木、坐中で一番年の若そうな紳士が真面目で言った。

「ハッハッハッハッ」と一坐が噴飯だした。

「イヤ笑いごとじゃアないよ」と上村は少し躍起になって、 「例えてみればそんなものなんで、理想に従がえば芋ばかし喰っていなきゃアならない。ことによると馬鈴薯も喰えないことになる。諸君は牛肉と馬鈴薯とどっちが可い?」 「牛肉が可いねエ!」と松木は又た眠むそうな声で真面目に言った。

「然しビフテキに馬鈴薯は附属物だよ」と頬髭の紳士が得意らしく言った。

「そうですとも! 理想は則ち実際の附属物なんだ! 馬鈴薯も全きり無いと困る、しかし馬鈴薯ばかりじゃア全く閉口する!」 と言って、上村はやや満足したらしく岡本の顔を見た。

「だって北海道は馬鈴薯が名物だって言うじゃアありませんか」と岡本は平気で訊ねた。

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「それでは全で小説ですが、幸に小説にはなりませんでした。

「翌々日の新聞を見ると年は十九、兵士と通じて懐胎したのが兵士には国に帰って了われ、身の処置に窮して自殺したものらしいと書いてありました、ともかく僕はその夜殆ど眠りませんでした。

「然かし能くしたもので、その翌日少女の顔を見ると平常に変っていない、そしてそのうっとりした眼に笑を含んで迎えられると、前夜からの心の苦悩は霧のように消えて了いました。それから又一月ばかりは何のこともなく、ただうれしい楽しいことばかりで……」 「なるほどこれはお安価くないぞ」と綿貫が床を蹶って言った。

「まア黙って聴きたまえ、それから」と松木は至極真面目になった。

「其先を僕が言おうか、こうでしょう、最後にその少女が欠伸一つして、それで神聖なる恋が最後になった、そうでしょう?」と近藤も何故か真面目で言った。

「ハッハッハッハッハッハッ」と二三人が噴飯して了った。

「イヤ少なくとも僕の恋はそうであった」と近藤は言い足した。

「君でも恋なんていうことを知っているのかね」これは井山の柄にない言草。

「岡本君の談話の途中だが僕の恋を話そうか? 一分間で言える、僕と或少女と乙な中になった、二人は無我夢中で面白い月日を送った、三月目に女が欠伸一つした、二人は分れた、これだけサ。要するに誰の恋でもこれが大切だよ、女という動物は三月たつと十人が十人、飽きて了う、夫婦なら仕方がないから結合いている。然しそれは女が欠伸を噛殺してその日を送っているに過ぎない、どうです君はそう思いませんか?」 「そうかも知れません、然し僕のは幸にその欠伸までに達しませんでした、先を聴いて下さい。

「僕もその頃、上村君のお話と同様、北海道熱の烈しいのに罹っていました、実をいうと今でも北海道の生活は好かろうと思っています。それで僕も色々と想像を描いていたので、それを恋人と語るのが何よりの楽でした、矢張上村君の亜米利加風の家は僕も大判の洋紙へ鉛筆で図取までしました。しかし少し違うのは冬の夜の窓からちらちらと燈火を見せるばかりでない、折り折り楽しそうな笑声、澄んだ声で歌う女の唱歌を響かしたかったのです、……」 「だって僕は相手が無かったのですもの」と上村が情けなそうに言ったので、どっと皆が笑った。

「君が馬鈴薯党を変節したのも、一はその故だろう」と綿貫が言った。

「イヤそれは嘘言だ、上村君にもし相手があったら北海道の土を踏ぬ先に変節していただろうと思う、女と言う奴が到底馬鈴薯主義を実行し得るもんじゃアない。先天的のビフテキ党だ、ちょうど僕のようなんだ。女は芋が嗜好きなんていうのは嘘サ!」と近藤が怒鳴るように言った。その最後の一句で又た皆がどっと笑った。

「それで二人は」と岡本が平気で語りだしたので漸々静まった。

「二人は将来の生活地を北海道と決めていまして、相談も漸く熟したので僕は一先故郷に帰り、親族に托してあった山林田畑を悉く売り飛ばし、その資金で新開墾地を北海道に作ろうと、十日間位の積で国に帰ったのが、親族の故障やら代価の不折合やらで思わず二十日もかかりました。 すると或日少女の母から電報が来ました、驚いて取る物も取あえず帰京してみると、少女は最早死んでいました」 「死んで?」と松木は叫けんだ。

「そうです、それで僕の総ての希望が悉く水の泡となって了いました」と岡本の言葉が未だ終らぬうち近藤は左の如く言った、それが全で演説口調、 「イヤどうも面白い恋愛談を聴かされ我等一同感謝の至に堪えません、さりながらです、僕は岡本君の為めにその恋人の死を祝します、祝すというが不穏当ならば喜びます、ひそかに喜びます、寧ろ喜びます、却て喜びます、もしもその少女にして死ななんだならばです、その結果の悲惨なる、必ず死の悲惨に増すものが有ったに違いないと信ずる」 とまでは頗る真面目であったが、自分でも少し可笑しくなって来たか急に調子を変え、声を低うし笑味を含ませて、 「何となれば、女は欠伸をしますから……凡そ欠伸に数種ある、その中尤も悲むべく憎くむ可きの欠伸が二種ある、一は生命に倦みたる欠伸、一は恋愛に倦みたる欠伸、生命に倦みたる欠伸は男子の特色、恋愛に倦みたる欠伸は女子の天性、一は最も悲しむべく、一は尤も憎むべきものである」 と少し真面目な口調に返り、 「則ち女子は生命に倦むということは殆どない、年若い女が時々そんな様子を見せることがある、然しそれは恋に渇しているより生ずる変態たるに過ぎない、幸にしてその恋を得る、その後幾年月かは至極楽しそうだ、真に楽しそうだ、恐らく楽という字の全意義はかかる女子の境遇に於て尽されているだろう。然し忽ち倦で了う、則ち恋に倦でしまう、女子の恋に倦だ奴ほど始末にいけないものは決して他にあるまい、僕はこれを憎むべきものと言ったが実は寧ろ憐れむべきものである、ところが男子はそうでない、往々にして生命そのものに倦むことがある、かかる場合に恋に出遇う時は初めて一方の活路を得る。そこで全き心を捧げて恋の火中に投ずるに至るのである。かかる場合に在ては恋則ち男子の生命である」 と言って岡本を顧み、 「ね、そうでしょう。どうです僕の説は穿っているでしょう」 「一向に要領を得ない!」と松木が叫けんだ。

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  1. 01Part 1
  2. 02Part 2

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