
Japanese Edition
Literature
日和下駄
Japanese BooksWhale Edition by Nagai Kafū
永井荷風が東京の路地、水辺、坂や崖を歩き、移りゆく街の風景と江戸の面影を綴る。
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Book introduction
日和下駄
日和下駄と蝙蝠傘を携えた散歩から、永井荷風が東京の風景を見つめる随筆集。淫祠、樹、地図、寺、水、路地、閑地、崖、坂、夕陽をめぐり、都市の変化と失われつつある江戸の記憶を描き出す。日本語原文の序と全十一篇を収録し、文章に織り込まれた詩歌も保つ。
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本作は1915年発表。著者永井荷風は1959年没。青空文庫で公開された日本語原文を使用し、入力注と底本情報を除いた。日本の旧保護期間満了後の作品を使用する。
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Preview chapter序Read preview
東京市中散歩の記事を集めて『日和下駄』と題す。そのいはれ本文のはじめに述べ置きたれば改めてここには言はず。『日和下駄』は大正三年夏のはじめころよりおよそ一歳あまり、月々雑誌『三田文学』に連載したりしを、この度米刃堂主人のもとめにより改竄して一巻とはなせしなり。ここにかく起稿の年月を明にしたるはこの書板成りて世に出づる頃には、篇中記する所の市内の勝景にして、既に破壊せられて跡方もなきところ尠からざらん事を思へばなり。見ずや木造の今戸橋は蚤くも変じて鉄の釣橋となり、江戸川の岸はせめんとにかためられて再び露草の花を見ず。桜田御門外また芝赤羽橋向の閑地には土木の工事今まさに興らんとするにあらずや。昨日の淵今日の瀬となる夢の世の形見を伝へて、拙きこの小著、幸に後の日のかたり草の種ともならばなれかし。
乙卯の年晩秋
荷風小史
Preview chapter第一 日和下駄Preview
人並はずれて丈が高い上にわたしはいつも日和下駄をはき蝙蝠傘を持って歩く。いかに好く晴れた日でも日和下駄に蝙蝠傘でなければ安心がならぬ。これは年中湿気の多い東京の天気に対して全然信用を置かぬからである。変りやすいは男心に秋の空、それにお上の御政事とばかり極ったものではない。春の花見頃午前の晴天は午後の二時三時頃からきまって風にならねば夕方から雨になる。梅雨の中は申すに及ばず。土用に入ればいついかなる時驟雨沛然として来らぬとも計りがたい。尤もこの変りやすい空模様思いがけない雨なるものは昔の小説に出て来る才子佳人が割なき契を結ぶよすがとなり、また今の世にも芝居のハネから急に降出す雨を幸いそのまま人目をつつむ幌の中、しっぽり何処ぞで濡れの場を演ずるものまたなきにしもあるまい。閑話休題日和下駄の効能といわば何ぞそれ不意の雨のみに限らんや。天気つづきの冬の日といえども山の手一面赤土を捏返す霜解も何のその。アスフヮルト敷きつめた銀座日本橋の大通、やたらに溝の水を撒きちらす泥濘とて一向驚くには及ぶまい。
私はかくの如く日和下駄をはき蝙蝠傘を持って歩く。
市中の散歩は子供の時から好きであった。十三、四の頃私の家は一時小石川から麹町永田町の官舎へ引移った事があった。勿論電車のない時分である。私は神田錦町の私立英語学校へ通っていたので、半蔵御門を這入って吹上御苑の裏手なる老松鬱々たる代官町の通をばやがて片側に二の丸三の丸の高い石垣と深い堀とを望みながら竹橋を渡って平川口の御城門を向うに昔の御搗屋今の文部省に沿うて一ツ橋へ出る。この道程もさほど遠いとも思わず初めの中は物珍しいのでかえって楽しかった。宮内省裏門の筋向なる兵営に沿うた土手の中腹に大きな榎があった。その頃その木蔭なる土手下の路傍に井戸があって夏冬ともに甘酒大福餅稲荷鮓飴湯なんぞ売るものがめいめい荷を卸して往来の人の休むのを待っていた。車力や馬方が多い時には五人も六人も休んで飯をくっている事もあった。これは竹橋の方から這入って来ると御城内代官町の通は歩くものにはそれほどに気がつかないが車を曳くものには限りも知れぬ長い坂になっていて、丁度この辺がその中途に当っているからである。東京の地勢はかくの如く漸次に麹町四谷の方へと高くなっているのである。夏の炎天には私も学校の帰途井戸の水で車力や馬方と共に手拭を絞って汗を拭き、土手の上に登って大榎の木蔭に休んだ。土手にはその時分から既に「昇ルベカラズ」の立札が付物になっていたが構わず登れば堀を隔てて遠く町が見える。かくの如き眺望は敢てここのみならず、外濠の松蔭から牛込小石川の高台を望むと同じく先ず東京中での絶景であろう。
私は錦町からの帰途桜田御門の方へ廻ったり九段の方へ出たりいろいろ遠廻りをして目新しい町を通って見るのが面白くてならなかった。しかし一年ばかりの後途中の光景にも少し飽きて来た頃私の家は再び小石川の旧宅に立戻る事になった。その夏始めて両国の水練場へ通いだしたので、今度は繁華の下町と大川筋との光景に一方ならぬ興を催すこととなった。
今日東京市中の散歩は私の身に取っては生れてから今日に至る過去の生涯に対する追憶の道を辿るに外ならない。これに加うるに日々昔ながらの名所古蹟を破却して行く時勢の変遷は市中の散歩に無常悲哀の寂しい詩趣を帯びさせる。およそ近世の文学に現れた荒廃の詩情を味おうとしたら埃及伊太利に赴かずとも現在の東京を歩むほど無残にも傷ましい思をさせる処はあるまい。今日看て過ぎた寺の門、昨日休んだ路傍の大樹もこの次再び来る時には必貸家か製造場になっているに違いないと思えば、それほど由緒のない建築もまたはそれほど年経ぬ樹木とても何とはなく奥床しくまた悲しく打仰がれるのである。
一体江戸名所には昔からそれほど誇るに足るべき風景も建築もある訳ではない。既に宝晋斎其角が『類柑子』にも「隅田川絶えず名に流れたれど加茂桂よりは賤しくして肩落したり。山並もあらばと願はし。目黒は物ふり山坂おもしろけれど果てしなくて水遠し、嵯峨に似てさみしからぬ風情なり。王子は宇治の柴舟のしばし目を流すべき島山もなく護国寺は吉野に似て一目千本の雪の曙思ひやらるゝにや爰も流なくて口惜し。住吉を移奉る佃島も岸の姫松の少きに反橋のたゆみをかしからず宰府は崇め奉る名のみにして染川の色に合羽ほしわたし思河のよるべに芥を埋む。都府楼観音寺唐絵と云はんに四ツ目の鐘の裸なる、報恩寺の甍の白地なるぞ屏風立てしやうなり。木立薄く梅紅葉せず、三月の末藤にすがりて回廊に筵を設くるばかり野には心もとまらず……云々。」そして其角は江戸名所の中唯ひとつ無疵の名作は快晴の富士ばかりだとなした。これ恐らくは江戸の風景に対する最も公平なる批評であろう。江戸の風景堂宇には一として京都奈良に及ぶべきものはない。それにもかかわらずこの都会の風景はこの都会に生れたるものに対して必ず特別の興趣を催させた。それは昔から江戸名所に関する案内記狂歌集絵本の類の夥しく出板されたのを見ても容易に推量する事が出来る。太平の世の武士町人は物見遊山を好んだ。花を愛し、風景を眺め、古蹟を訪う事は即ち風流な最も上品な嗜みとして尊ばれていたので、実際にはそれほどの興味を持たないものも、時にはこれを衒ったに相違ない。江戸の人が最も盛に江戸名所を尋ね歩いたのは私の見る処やはり狂歌全盛の天明以後であったらしい。江戸名所に興味を持つには是非とも江戸軽文学の素養がなくてはならぬ。一歩を進むれば戯作者気質でなければならぬ。
Preview chapter第二 淫祠Preview
裏町を行こう、横道を歩もう。かくの如く私が好んで日和下駄をカラカラ鳴して行く裏通にはきまって淫祠がある。淫祠は昔から今に至るまで政府の庇護を受けたことはない。目こぼしでそのままに打捨てて置かれれば結構、ややともすれば取払われべきものである。それにもかかわらず淫祠は今なお東京市中数え尽されぬほど沢山ある。私は淫祠を好む。裏町の風景に或趣を添える上からいって淫祠は遥に銅像以上の審美的価値があるからである。本所深川の堀割の橋際、麻布芝辺の極めて急な坂の下、あるいは繁華な町の倉の間、または寺の多い裏町の角なぞに立っている小さな祠やまた雨ざらしのままなる石地蔵には今もって必ず願掛の絵馬や奉納の手拭、或時は線香なぞが上げてある。現代の教育はいかほど日本人を新しく狡猾にしようと力めても今だに一部の愚昧なる民の心を奪う事が出来ないのであった。路傍の淫祠に祈願を籠め欠けたお地蔵様の頸に涎掛をかけてあげる人たちは娘を芸者に売るかも知れぬ。義賊になるかも知れぬ。無尽や富籤の僥倖のみを夢見ているかも知れぬ。しかし彼らは他人の私行を新聞に投書して復讐を企てたり、正義人道を名として金をゆすったり人を迫害したりするような文明の武器の使用法を知らない。
淫祠は大抵その縁起とまたはその効験のあまりに荒唐無稽な事から、何となく滑稽の趣を伴わすものである。
聖天様には油揚のお饅頭をあげ、大黒様には二股大根、お稲荷様には油揚を献げるのは誰も皆知っている処である。芝日蔭町に鯖をあげるお稲荷様があるかと思えば駒込には炮烙をあげる炮烙地蔵というのがある。頭痛を祈ってそれが癒れば御礼として炮烙をお地蔵様の頭の上に載せるのである。御厩河岸の榧寺には虫歯に効験のある飴嘗地蔵があり、金竜山の境内には塩をあげる塩地蔵というのがある。小石川富坂の源覚寺にあるお閻魔様には蒟蒻をあげ、大久保百人町の鬼王様には湿瘡のお礼に豆腐をあげる、向島の弘福寺にある「石の媼様」には子供の百日咳を祈って煎豆を供えるとか聞いている。
無邪気でそしてまたいかにも下賤ばったこれら愚民の習慣は、馬鹿囃子にひょっとこの踊または判じ物見たような奉納の絵馬の拙い絵を見るのと同じようにいつも限りなく私の心を慰める。単に可笑しいというばかりではない。理窟にも議論にもならぬ馬鹿馬鹿しい処に、よく考えて見ると一種物哀れなような妙な心持のする処があるからである。
Table of contents
Inside this edition
- 01序
- 02第一 日和下駄
- 03第二 淫祠
- 04第三 樹
- 05第四 地図
- 06第五 寺
- 07第六 水 附渡船
- 08第七 路地
- 09第八 閑地
- 10第九 崖
- 11第十 坂
- 12第十一 夕陽 附富士眺望
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