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Japanese Edition

Literature

満韓ところどころ

Japanese BooksWhale Edition by Natsume Sōseki

夏目漱石が満洲・朝鮮への旅で見聞きした風景、人びと、移動の経験を、機知に富む筆致で記す紀行。

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Book introduction

満韓ところどころ

満鉄総裁の中村是公に誘われた夏目漱石は、船旅を経て大連などを訪れ、宿舎、鉄道、都市の風景や現地で出会う人びとを描く。会話と身辺の細部には、旅先での驚きや違和感が交錯する。本版は新聞掲載作としての全五十一節を収録し、当時の歴史的視点を含む日本語原文を保つ。

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夏目漱石は1916年没。本作は1909年に新聞連載された日本語の紀行文で、青空文庫の原文テキストを使用。ルビ・入力者注・底本情報を除き、本文の全五十一節を収録する。

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Preview chapter一Read preview

南満鉄道会社っていったい何をするんだいと真面目に聞いたら、満鉄の総裁も少し呆れた顔をして、御前もよっぽど馬鹿だなあと云った。是公から馬鹿と云われたって怖くも何ともないから黙っていた。すると是公が笑いながら、どうだ今度いっしょに連れてってやろうかと云い出した。是公の連れて行ってやろうかは久しいもので、二十四五年前、神田の小川亭の前にあった怪しげな天麩羅屋へ連れて行ってくれた以来時々連れてってやろうかを余に向って繰返す癖がある。そのくせいまだ大した所へ連れて行ってくれた試がない。「今度いっしょに連れてってやろうか」もおおかたその格だろうと思ってただうんと答えておいた。この気のない返事を聞いた総裁は、まあ海外における日本人がどんな事をしているか、ちっと見て来るがいい。御前みたように何にも知らないで高慢な顔をしていられては傍が迷惑するからとすこぶる適切めいた事を云う。何でも是公に聞いて見ると馬関や何かで我々の不必要と認めるほどの御茶代などを宿屋へ置くんだそうだから、是公といっしょに歩いて、この尨大な御茶代が宿屋の主人下女下男にどんな影響を生ずるかちょっと見たくなった。そこで、じゃ君の供をしてへいへい云って歩いて見たいなと注文をつけたら、そりゃどうでも構わない、いっしょが厭なら別でも差支えないと云う返事であった。

それから御供をするのはいつだろうかと思って、面白半分に待っていると、八月半ばに使が来ていつでも立てる用意ができてるかと念を押した。立てると云えば立てるような身上だから立てると答えた。するとまた十日ほどしていつ何日の船で馬関から乗るが、好いかと云う手紙が来た。それも、ちゃんと心得た。次には用事ができたから一船延ばすがどうだと云う便りがあった。これも訳なく承知した。しかし承知している最中に、突然急性胃カタールでどっとやられてしまった。こうなるといかに約束を重んずる余も、出発までに全快するかしないか自分で保証し悪くなって来た。胸へ差し込みが来ると、約束どころじゃない。馬関も御茶代も、是公も大連もめちゃめちゃになってしまう。世界がただ真黒な塊に見えた。それでも御供旅行の好奇心はどこかに潜んでいたと見えて、先へ行ってくれと云う事は一口も是公に云わなかった。

そのうち胃のところがガスか何かでいっぱいになった。茶碗の音などを聞くと腹が立った。人間は何の必要があって飯などを食うのか気の知れない動物だ、こうして氷さえ噛っていれば清浄潔白で何も不足はないじゃないかと云う気になった。枕元で人が何か云うと、話をしなくっちあ生きていられないおしゃべりほど情ない下賤なものはあるまいと思った。眼を開いて本棚を見渡すと書物がぎっしり詰っている。その書物が一々違った色をしてそうしてことごとく別々な名を持っている。煩わしい事夥しい。何の酔興でこんな差別をつけたものだろう、また何の因果でそれを大事そうに列べ立てたものだろう。実にしち面倒臭い世の中だ。早く死んじまえと云う気になった。

禎二さんが蒲団の横へ来て、どうですと尋ねたが、返事をするのが馬鹿気ていて何とも云う了見にならない。代診が来て、これじゃ旅行は無理ですよ、医者として是非止めなくっちゃならないと説諭したが、御尤もだとも不尤もだとも答えるのが厭だった。

そのうち日は容赦なく経った。病気は依然として元のところに逗留していた。とうとう出発の前日になって、電話で中村へ断った。中村は御大事になさいと云って先へ立ってしまった。

Preview chapter二Preview

小蒸気を出て鉄嶺丸の舷側を上るや否や、商船会社の大河平さんが、どうか総裁とごいっしょのように伺いましたがと云われる。船が動き出すと、事務長の佐治君が総裁と同じ船でおいでになると聞いていましたがと聞かれる。船長さんにサルーンの出口で出逢うと総裁と御同行のはずだと誰か云ってたようでしたがと質問を受ける。こうみんなが総裁総裁と云うと是公と呼ぶのが急に恐ろしくなる。仕方がないから、ええ総裁といっしょのはずでしたが、ええ総裁と同じ船に乗る約束でしたがと、たちまち二十五年来用い慣れた是公を倹約し始めた。この倹約は鉄嶺丸に始まって、大連から満洲一面に広がって、とうとう安東県を経て、韓国にまで及んだのだから少からず恐縮した。総裁という言葉は、世間にはどう通用するか知らないが、余が旧友中村是公を代表する名詞としては、あまりにえら過ぎて、あまりに大袈裟で、あまりに親しみがなくって、あまりに角が出過ぎている。いっこう味がない。たとい世間がどう云おうと、余一人はやはり昔の通り是公是公と呼び棄てにしたかったんだが、衆寡敵せず、やむをえず、せっかくの友達を、他人扱いにして五十日間通して来たのは遺憾である。

船の中は比較的楽だった。二百十日の明る日に神戸を立ったのだから、多少の波風は無論おいでなさるんだろうと思ってちゃんと覚悟をきめていたところが、天気が存外呑気にできたもので、神戸から大連に着くまでたいていは鈍り返っていた。甲板の上に若い英吉利の男が犬を抱いて穏かに寝ていたと云ったら、海のようすもたいていは想像されるだろうと思う。

ありゃ何ですかと事務長の佐治さんに聞くと、え、あれは英国の副領事だそうですと、佐治さんが答えた。副領事かも知れないが余には美しい二十一二の青年としか思われなかった、これに反して犬はすこぶる妙な顔をしていた。もっともブルドッグだから両親からしてすでに普通の顔とは縁の遠い方に違いない。したがって特にこいつだけを責めるのは残酷だが、一方から云うと、また不思議に妙な顔をしているんだからやむをえない。この犬はその後大連に渡って大和ホテルに投宿した。そうとはちっとも知らずに、食堂に入って飯を食っていると、突然この顔に出食わして一驚を喫した。固より犬の食堂じゃないんだけれども、犬の方で間違えて這入って来たものと見える。もっとも彼の主人もその時食堂にいた。主人は多数の人間のいるところで、犬と高声に談判するのを非紳士的と考えたと見えて、いきなりかの妙な顔を胴ぐるみ脇の下に抱えて食堂の外に出て行った。その退却の模様はすこぶる優美であった。彼は重い犬をあたかも風呂敷包のごとく安々と小脇に抱えて、多くの人の並んでいる食卓の間を、足音も立てず大股に歩んで戸の外に身体を隠した。その時犬はわんとも云わなかった。ぐうとも云わなかった。あたかも弾力ある暖かい器械の、素直に自然の力に従うように、おとなしく抱かれて行った。顔はたびたび云う通りはなはだ妙だが、行状に至ってはすこぶる気高いものであった。余はその後ついにこの犬に逢う機会を得なかった。

Preview chapter三Preview

退屈だから甲板に出て向うを見ると、晴れたとも曇ったとも方のつかない天気の中に、黒い影が煙を吐いて、静かな空を濁しながら動いて行く。しばらくその痕を眺めていたが、やがてまた籐椅子の上に腰をおろした。例の英吉利の男が、今日は犬を椅子の足に鎖で縛りつけて、長い脛をその上に延ばして書物を読んでいる。もう一人の異人はサルーンで何かしきりに認め物をしている。その妻君はどこへ行ったか見えない。亜米利加の宣教師夫婦は席を船長室の傍へ移した。甲板の上はいつもの通り無事であった。ただ機関の音だけが足の裏へ響けるほど猛烈に鳴り渡った。その響の中でいつの間にかうとうとした。

眼が覚めてから、サルーンに入って亜米利加の絵入りの雑誌を引っ剥がして見た。傍には日本の雑誌も五六冊片寄せてあった。いずれも佐治文庫と云う判が押してある。これは事務長の佐治さんが、自分で読むために上陸の際に買入れて、読んでしまうと船の図書館に寄附するのだと佐治さん自身から聞いた。佐治さんは文学好と見えて、余の著書なども読んでいる。友人の畔柳芥舟と同郷だと云うから、差し向いで芥舟の評判を少しやった。

また室を出て海を眺めた。すると先刻黒い影を波の上に残して、遠くの向うを動いていた船が、すぐ眼の前に見える。大きさは鉄嶺丸とほぼ同じぐらいに思われるが、船足がだいぶ遅いと見えて、しばらくの間にもうこれほど追つかれたのである。欄干に頬杖を突いて、見ていると鉄嶺丸が刻一刻と後から逼って行くのがよく分る。しまいには黄色い文字で書いた営口丸の三字さえ明かに読めるようになった。やがて余の船の頭が営口丸の尻より先へ出た。そうして、尻から胴の方へじりじりと競り上げて行った。船は約一丁を隔ててほとんど並行の姿勢で進行している。もう七八分すると、余の船は全く営口丸を乗り切る事ができそうに思われた。時に約一丁もあろうと云う船と船の間隔が妙に逼って来た。向うの甲板にいる乗客の影が確に勘定ができるようになった。見るとことごとく西洋人である。中には眼鏡を出してこっちを眺めているのもあった。けれども見るうちに眼鏡は不必要になった。髪の色も眼鼻立も甲板に立っている人は御互に鮮かな顔を見合せるほど船は近くなった。その時は全く美しかった。と思うと、船は今までよりも倍以上の速力を鼓して刹那に近寄り始めた。海の水を細い谷川のように仕切って、営口丸の船体が、六尺ほどの眼の前に黒く切っ立った時は、ああ打つかるなと思った。途端に向うの舳は余の眼を掠めて過ぎ去りつつ、逼りつつ、とうとう中等甲板の角の所まで行ってどさりと当った。同時に甲板の上に釣るしてあった端艇が二艘ほどでんぐり返った。端艇を繋いであった鉄の棒は無雑作に曲った。営口丸の船員は手を拍ってわあと囃し立てた。余と並んで立っていた異人が、妙な声を出してダム何とか云った。

一時間の後佐治さんがやって来て、夏目さん身をかわすのかわすと云う字はどう書いたら好いでしょうと聞くから、そうですねと云って見たが、実は余も知らなかった。為替の替せると云う字じゃいけませんかとはなはだ文学者らしからぬ事を答えると、佐治さんは承知できない顔をして、だってあれは物を取り替える時に使うんでしょうとやり込めるから、やむをえず、じゃ仮名が好いでしょうと忠告した。佐治さんは呆れて出て行った。後で聞くと、衝突の始末を書くので、その中に、本船は身をかわしと云う文句を入れたかったのだそうである。

Table of contents

Inside this edition

  1. 01一
  2. 02二
  3. 03三
  4. 04四
  5. 05五
  6. 06六
  7. 07七
  8. 08八
  9. 09九
  10. 10十
  11. 11十一
  12. 12十二
  13. 13十三
  14. 14十四
  15. 15十五
  16. 16十六
  17. 17十七
  18. 18十八
  19. 19十九
  20. 20二十
  21. 21二十一
  22. 22二十二
  23. 23二十三
  24. 24二十四
  25. 25二十五
  26. 26二十六
  27. 27二十七
  28. 28二十八
  29. 29二十九
  30. 30三十
  31. 31三十一
  32. 32三十二
  33. 33三十三
  34. 34三十四
  35. 35三十五
  36. 36三十六
  37. 37三十七
  38. 38三十八
  39. 39三十九
  40. 40四十
  41. 41四十一
  42. 42四十二
  43. 43四十三
  44. 44四十四
  45. 45四十五
  46. 46四十六
  47. 47四十七
  48. 48四十八
  49. 49四十九
  50. 50五十
  51. 51五十一

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