
Japanese Edition
Literature
日本橋
Japanese BooksWhale Edition by Kyoka Izumi
日本橋の路地と花柳界を舞台に、お孝や清葉らの恋情、意地、人間関係が交差する泉鏡花の長篇小説。
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Book introduction
日本橋
日本橋の街と花柳界を背景に、お孝、清葉、葛木らの関係が複雑に絡み合う。路地の会話、身なり、身ぶり、音や光の細かな描写を通して、人々の情愛と意地、すれ違いが浮かび上がる。泉鏡花独特の語りと会話を味わいながら、街の表情と登場人物の運命を追う長篇。六十七の節を収めた日本語原文版で、原作の語彙と物語の流れを保っている。
BooksWhale edition
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泉鏡花は1939年に没し、本作は1914年に刊行された。著作権保護期間を経過した日本語原文を用いる。
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Preview chapter一Read preview
「お客に舐めさせるんだとよ。」
「何を。」
「その飴をよ。」
腕白ものの十ウ九ツ、十一二なのを頭に七八人。春の日永に生欠伸で鼻の下を伸している、四辻の飴屋の前に、押競饅頭で集った。手に手に紅だの、萌黄だの、紫だの、彩った螺貝の独楽。日本橋に手の届く、通一つの裏町ながら、撒水の跡も夢のように白く乾いて、薄い陽炎の立つ長閑さに、彩色した貝は一枚々々、甘い蜂、香しき蝶になって舞いそうなのに、ブンブンと唸るは虻よ、口々に喧しい。
この声に、清らな耳許、果敢なげな胸のあたりを飛廻られて、日向に悩む花がある。
盛の牡丹の妙齢ながら、島田髷の縺れに影が映す……肩揚を除ったばかりらしい、姿も大柄に見えるほど、荒い絣の、いささか身幅も広いのに、黒繻子の襟の掛った縞御召の一枚着、友染の前垂、同一で青い帯。緋鹿子の背負上した、それしゃと見えるが仇気ない娘風俗、つい近所か、日傘も翳さず、可愛い素足に台所穿を引掛けたのが、紅と浅黄で羽を彩る飴の鳥と、打切飴の紙袋を両の手に、お馴染の親仁の店。有りはしないが暖簾を潜りそうにして出た処を、捌いた褄も淀むまで、むらむらとその腕白共に寄って集られたものである。
「煮てかい、焼いてかい。」
「何、口からよ。」
と、老成た事を云って、中でも矮小が、鼻まで届きそうな舌を上舐にべろんと行る、こいつが一芸。
「まあ、可笑しい。」
若い妓は、優しく伏目に莞爾して、
「お客様が飴なんか。大概御酒をあがるんですもの。」
で、ちょっと紙袋を袖で抱く。
「それだってよ、それでもよ、髯へ押着けやがるじゃねえか。」
「不見手様。」とまた矮小が、舌をべろんと飜す。
若い妓は柔しかった。むっともしそうな頬はなお細って見えて、
「あら、大な声をするもんじゃないことよ。」
「だって、看板に掛けてやがって。」と一人が前を遮るように、独楽の手繰をずるりと伸す。
「違ったか。雪や氷、冷い氷よ。そら水の上に丶なんだ。」
「不見手様。」と矮小が頤でしゃくる。
「矮小やい、舌を出せ。」
「出せよ、畜生。」
「ううん、ううん、そう号令を掛けちゃ出せやしませんさ。」
と焦って頭突きに首を振る。
「馬鹿、咽喉ぼとけを掴んでいやがる。」
「ほほほ。」と、罪の無い皓歯の莟。
「畜生、笑ったな、不見手。」
と矮小は、ぐいと腕を捲った。
「可厭、また……大な声をして。」
「大な声がどうしたんでえ。」
と、一人の兄哥さん、六代目の仮声さ。
Preview chapter二Preview
その若い妓は、可愛い人形を抱くように、胸へ折った片袖で、面を蔽う姿して、
「堪忍して下さいな。」
と遣瀬なさそうに悄れて云う。
「やあ、謝罪るぜ、ぐうたらやい。」
「不見手よりか心太だい。」
またしてもこの高声、はっとしたらしく袖を翳して、若い妓は隠れたそうに、
「内証なのよ、ねえ、後生よ。姉さんに聞えると腹を立ちますわ。」
「何を云ってやんでえ。」
「分るもんか。」
矮小が抜からず、べろん、と出して、
「お前ン許の姉さんは、町内の狂人じゃねえかよ。」
「其奴も怪しいんだぜ、お夥間だい。」
と背後から喚くと、間近に、(何。)とか云う鮨屋の露地口。鼬のようにちょろりと出た同一腕白。下心あって、用意の為に引込んでいたらしい。芥溜を探したか、皿から浚ったか、笹ッ葉一束、棒切の尖へ独楽なわで引括った間に合せの小道具を、さあ来い、と云う身で構えて、駆寄ると、若い妓の島田の上へ突着けた、ばさばさばッさり。
が、黙って、何にも言わないで、若い妓は俯向いて歩行き出す。
頸摺れに、突着け、突掛け、
「やあ、おいらんの道中々々!」
「大高、旨いぞ。」と一人が囃す。
「おっと任せの、千崎弥五郎。」
矮小が、心得、抜衣紋の突袖で、据腰の露払。早速に一人が喜助と云う身で、若い妓の袖に附着く、前後にずらりと六人、列を造って練りはじめたので、あわれ、若い妓の素足の指は、爪紅が震えて留まる。
此奴不見手、と笹の葉の旗を立てて、日本橋あたり引廻しの、陽炎揺るる影法師。
日南に蒸れる酢の臭に、葉も花片も萎えんとす。
引切の無い人通りも、およそ途中で立停って、芸者の形を見物するのは、鰻屋の前に脂気を嗅ぐ、奥州のお婆さんと同じ恥辱だ、という心得から、誰も知らぬ顔で行違う。……もっとも対手は小児である。
世渡やここに一人、飴屋の親仁は変な顔。叱言を、と思う頬辺を窪めて、もぐもぐと呑込んで黙言の、眉毛をもじゃ。若い妓は気の毒なり、小児たちは常得意。内心痛し、頗る痒しで、皺だらけの手の甲を顋の下で摺ってござった。
「川柳にも有るがね、(黙然と辻斬を見る石地蔵。)さね。……俺も弱ったよ。……近い処が、西河岸にござらっしゃる、ね、あの、目の前であったろうずりゃ、お地蔵様はどうお扱いなさりょうかと、つくづく思っていましたよ、はい。……」
と後で人にそう云った。またこの飴屋が、喇叭も吹かず、太鼓をトンとも鳴らさぬかわりに、いつでも広告の比羅がわり、赤い涎掛をしている名代の菩薩でなお可笑い。
「笹や、笹々笹や笹、笹を買わんせ煤竹を――」
大高うまい、と今呼ばれた、件の(鼬みめよし)が、笹をわざと、島田の上で、ばさばさと振りながら、足踏をして唱出した。
声を揃えて、手拍子で、
「笹を買わんせ煤竹を――」
ここで三音諧張上げる。気障な調子で、
「大高源吾は橋の上ええ。」
檜木笠
Preview chapter三Preview
「あら、お止しなさいよ、そんな唄。大嫌だわ。二階に寝ている姉さんが、病気で疳が立っておいでだから、直ぐに聞きつけて、沢山加減を悪くするからね……ほんとうに嫌なのよ。」
と若い妓は頭を振るように左右を顧る。
「何が嫌だい。」
「生意気云うない。」
「状あ! 女郎奴、手前に嫌われて幸だ。好かれて堪るかい。」と笹を持ったのが、ぐいとその棹を小脇に引くと、呀、斜に構えて前に廻った。
「嘘よ、お前さんじゃないのよ。その大高源吾とか云う、ずんぐりむっくりした人がね、笹を担いで浪花節で歩行いては、大事な土地が汚れるって。……橋は台なし、堪らないって、姉さんが云うんだわ。」
「知ってらい!」
と矮小が、ぺろぺろと舌を吐いて、
「不断、そう云やがるとよ、可いか。手前ン許の狂女がな、不断そう云やがる事を知ってるから、手前だって尋常は通さないんだぜ。僕がな、形を窶してよ、八百屋の小児に生れてよ、間者になって知ってるんだ。行軍将棊でもな、間者は豪いぜ、伴内阿魔。」
商人はもとより、親が会社員にしろ、巡査にしろ、田舎の小忰でないものが、娘を苛める仔細はない。故あるかな、スパルタ擬きの少年等が、武士道に対する義憤なのである。
「忠臣、義士の罰が当らあ。」
「勿論よ。」
ひょろ竹と云われる瘠せたのが、きいきいと軋む声で、
「疾に罰が当って、気の違った奴なんか構わねえや。……此奴に笹葉を頂かせろ。」
「嚔をさしたれ。」
と、含羞んだ若い妓の、揃った目鼻の真中を狙って――お螻の虫が、もじゃもじゃもじゃ。
「へッくしょ。」と思わず唐突に陽炎を吸って咽せた……飴屋の地蔵は堪らなそうに鼻を撫でる。当の狙われた若い妓は、はッと顔を背けたので、笹葉は片頬外れに肩へ辷って、手を払って、持ったのを引払われて、飴の鳥はくしゃん、と潰れる。
「可哀相に、鶯を。」
とつい、衣紋が摺って、白い襟。髪艶やかに中腰になった処を、発奮で一打、ト颯と烏の翼の影、笹を挙げて引被る。
「ああ、少時。」
慌しく声を掛けて、白足袋のしょぼけた草鞋で、つかつかと寄ろうとした、が、ふと足を曳いて、手甲掛けた手を差伸ばして、
「もしもし、大高氏、暫時、大高氏。」と大風に声を掛けて呼んだのは、小笠を目深に、墨の法衣。脚絆穿で、むかし傀儡師と云った、被蓋の箱を頸に掛けて、胸へ着けた、扮装は仔細らしいが、山の手の台所でも、よく見掛ける、所化か、勧行か、まやかしか、風体怪しげなる鉢坊主。
形だけも世棄人、それでこそ、見得も外聞も洒落も構わず、変徹も無く、途中で芸者を見ていらるる。――斜めに向う側の土蔵の白壁に、へまむし、と炭団の欠で楽書をしたごとく彳んで、熟と先刻から見詰めていた。
小笠のふちに、手を掛けながら、
「源吾どの、ちょっと、これへ。……」
Table of contents
Inside this edition
- 01一
- 02二
- 03三
- 04四
- 05五
- 06六
- 07七
- 08八
- 09九
- 10十
- 11十一
- 12十二
- 13十三
- 14十四
- 15十五
- 16十六
- 17十七
- 18十八
- 19十九
- 20二十
- 21二十一
- 22二十二
- 23二十三
- 24二十四
- 25二十五
- 26二十六
- 27二十七
- 28二十八
- 29二十九
- 30三十
- 31三十一
- 32三十二
- 33三十三
- 34三十四
- 35三十五
- 36三十六
- 37三十七
- 38三十八
- 39三十九
- 40四十
- 41四十一
- 42四十二
- 43四十三
- 44四十四
- 45四十五
- 46四十六
- 47四十七
- 48四十八
- 49四十九
- 50五十
- 51五十一
- 52五十二
- 53五十三
- 54五十四
- 55五十五
- 56五十六
- 57五十七
- 58五十八
- 59五十九
- 60六十
- 61六十一
- 62六十二
- 63六十三
- 64六十四
- 65六十五
- 66六十六
- 67六十七
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