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Japanese Edition

Literature

婦系図

Japanese BooksWhale Edition by Izumi Kyoka

義理、人情、師弟、恋愛をめぐる泉鏡花の代表的な世話物小説。

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婦系図

『婦系図』は、早瀬主税とお蔦の関係を中心に、学問の師弟関係、身分意識、義理と情愛の衝突を描く泉鏡花の代表作です。新派劇でも知られる物語性を備え、明治の社会感覚と鏡花らしい情緒が濃く表れています。

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泉鏡花は1939年に没し、『婦系図』は1907年に発表されました。これらの年代は、本日本語原文版の公版性を判断する根拠になります。

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婦系図

婦系図 泉鏡花

鯛、比目魚

素顔に口紅で美いから、その色に紛うけれども、可愛い音は、唇が鳴るのではない。お蔦は、皓歯に酸漿を含んでいる。…… 「早瀬の細君はちょうど(二十)と見えるが三だとサ、その年紀で酸漿を鳴らすんだもの、大概素性も知れたもんだ、」と四辺近所は官員の多い、屋敷町の夫人連が風説をする。 すでに昨夜も、神楽坂の縁日に、桜草を買ったついでに、可いのを撰って、昼夜帯の間に挟んで帰った酸漿を、隣家の娘――女学生に、一ツ上げましょう、と言って、そんな野蛮なものは要らないわ! と刎ねられて、利いた風な、と口惜がった。 面当てというでもあるまい。あたかもその隣家の娘の居間と、垣一ツ隔てたこの台所、腰障子の際に、懐手で佇んで、何だか所在なさそうに、しきりに酸漿を鳴らしていたが、ふと銀杏返しのほつれた鬢を傾けて、目をぱっちりと開けて何かを聞澄ますようにした。 コロコロコロコロ、クウクウコロコロと声がする。唇の鳴るのに連れて。 ちょいと吹留むと、今は寂寞として、その声が止まって、ぼッと腰障子へ暖う春の日は当るが、軒を伝う猫も居らず、雀の影もささぬ。 鼠かと思ったそうで、斜に棚の上を見遣ったが、鍋も重箱もかたりとも云わず、古新聞がまたがさりともせぬ。 四辺を見ながら、うっかり酸漿に歯が触る。とその幽な音にも直ちに応じて、コロコロ。少し心着いて、続けざまに吹いて見れば、透かさずクウクウ、調子を合わせる。 聞き定めて、 「おや、」と云って、一段下流の板敷へ下りると、お源と云う女中が、今しがたここから駈け出して、玄関の来客を取次いだ草履が一ツ。ぞんざいに黒い裏を見せて引くり返っているのを、白い指でちょいと直し、素足に引懸け、がたり腰障子を左へ開けると、十時過ぎの太陽が、向うの井戸端の、柳の上から斜っかけに、遍く射込んで、俎の上に揃えた、菠薐草の根を、紅に照らしたばかり。 多分はそれだろう、口真似をするのは、と当りをつけた御用聞きの酒屋の小僧は、どこにも隠れているのではなかった。 眉を顰めながら、その癖恍惚した、迫らない顔色で、今度は口ずさむと言うよりもわざと試みにククと舌の尖で音を入れる。響に応じて、コロコロと行ったが、こっちは一吹きで控えたのに、先方は発奮んだと見えて、コロコロコロ。 これを聞いて、屈んで、板へ敷く半纏の裙を掻取り、膝に挟んだ下交の褄を内端に、障子腰から肩を乗出すようにして、つい目の前の、下水の溜りに目を着けた。 もとより、溝板の蓋があるから、ものの形は見えぬけれども、優い連弾はまさしくその中。 笑を含んで、クウクウと吹き鳴らすと、コロコロと拍子を揃えて、近づいただけ音を高く、調子が冴えてカタカタカタ! 「蛙だね。」 と莞爾した、その唇の紅を染めたように、酸漿を指に取って、衣紋を軽く拊ちながら、 「憎らしい、お源や…………」 来て御覧、と呼ぼうとして、声が出たのを、圧えて酸漿をまた吸った。 ククと吹く、カタカタ、ククと吹く、カタカタ、蝶々の羽で三味線の胴をうつかと思われつつ、静かに長くる春の日や、お蔦の袖に二三寸。 「おう、」と突込んで長く引いた、遠くから威勢の可い声。 来たのは江戸前の魚屋で。

ここへ、台所と居間の隔てを開け、茶菓子を運んで、二階から下りたお源という、小柄の可い島田の女中が、逆上せたような顔色で、

「奥様、魚屋が参りました。」

「大きな声をおしでないよ。」

とお蔦は振向いて低声で嗜め、お源が背後から通るように、身を開きながら、

「聞こえるじゃないか。」

目配せをすると、お源は莞爾して俯向いたが、ほんのり紅くした顔を勝手口から外へ出して路地の中を目迎える。

「奥様は?」

とその顔へ、打着けるように声を懸けた。またこれがその(おう。)の調子で響いたので、お源が気を揉んで、手を振って圧えた処へ、盤台を肩にぬいと立った魚屋は、渾名を(め組)と称える、名代の芝ッ児。

半纏は薄汚れ、腹掛の色が褪せ、三尺が捻じくれて、股引は縮んだ、が、盤台は美い。

いつもの向顱巻が、四五日陽気がほかほかするので、ひしゃげ帽子を蓮の葉かぶり、ちっとも涼しそうには見えぬ。例によって飲こしめした、朝から赤ら顔の、とろんとした目で、お蔦がそこに居るのを見て、

「おいでなさい、奥様、へへへへへ。」

「お止しってば、気障じゃないか。お源もまた、」

と指の尖で、鬢をちょいと掻きながら、袖を女中の肩に当てて、

「お前もやっぱり言うんだもの、半纏着た奥様が、江戸に在るものかね。」

「だって、ねえ、めのさん。」

とお源は袖を擦抜けて、俎板の前へ蹲む。

「それじゃ御新造かね。」

「そんなお銭はありやしないわ。」

「じゃ、おかみさん。」

「あいよ。」

「へッ、」

と一ツ胸でしゃくって笑いながら、盤台を下ろして、天秤を立掛ける時、菠薐草を揃えている、お源の背を上から見て、

「相かわらず大な尻だぜ、台所充満だ。串戯じゃねえ。目量にしたら、およそどのくれえ掛るだろう。」

「お前さんの圧ぐらい掛ります。」

「ああいう口だ。はははは、奥さんのお仕込みだろう。」

「めの字、」

「ええ、」

「二階にお客さまが居るじゃないか、奥様はおよしと言うのにね。」

「おっと、そうか、」

ぺろぺろと舌を吸って、

「何だって、日蔭ものにして置くだろう、こんな実のある、気前の可い……」

「値切らない、」

「ほんによ、所帯持の可い姉さんを。分らない旦じゃねえか。」

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「ああ、お前ももうおいででない。」

「行くもんか、行けったってお断りだ。お断り、へへへ、お断り、」

と茶碗を捻くる。

「厭な人だよ。仕様がないね、さあ、茶碗をお出しなね。」

「おお、」

と何か考え込んだ、主税が急に顔を上げて、

「もうちっと精しくその話を聞かせないか。」

井戸端から、婦人の凧が切れて来たかと、お源が一文字に飛込んだ。

「旦、旦那様、あの、何が、あの、あのあの、」

矢車草

お源のその慌しさ、駈けて来た呼吸づかいと、早口の急込に真赤になりながら、直ぐに台所から居間を突切って、取次ぎに出る手廻しの、襷を外すのが膚を脱ぐような身悶えで、

「真砂町の、」

「や、先生か。」

真砂町と聞いただけで、主税は素直に突立ち上る。お蔦はさそくに身を躱して、ひらりと壁に附着いた。

「いえ、お嬢様でございます。」

「嬢的、お妙さんか。」

と謂うと斉しく、まだ酒のある茶碗を置いた塗盆を、飛上る足で蹴覆して、羽織の紐を引掴んで、横飛びに台所を消えようとして、

「赤いか、」

お蔦を見向いて面を撫でると、涼しい瞳で、それ見たかと云う目色で、

「誰が見ても……」と、ぐっと落着く。

「弱った。」と頭を圧える。

「朝湯々々、」と莞爾笑う。

「軍師なるかな、諸葛孔明。」といい棄てに、ばたばたどんと出て行ったは、玄関に迎えるのである。

ふらふらとした目を据えて、まだ未練にも茶碗を放さなかった、め組の惣助、満面の笑に崩れた、とろんこの相格で、

「いよう、天人。」と向うを覗く。

「不可いよ、」

と強く云う、お蔦の声が屹としたので、きょとんとして立つ処を、横合からお源の手が、ちょろりとその執心の茶碗を掻攫って、

「失礼だわ。」

と極めつける。天下大変、吃驚して、黙って天秤の下へ潜ると、ひょいと盤台の真中へ。向うの板塀に肩を寄せたは、遠くから路を開く心得、するするとこれも出て行く。

もう、玄関の、格子が開きそうなものだと思うと、音もしなければ、声もせぬので、お蔦が、

「御覧、」と目配せする。

覗くは失礼と控えたのが、遁腰で水口から目ばかり出したと思うと、反返るように引込んで、

「大変でございます。お台所口へいらっしゃいます。」

「ええ、こちらへ、」

と裾を捌くと、何と思ったか空を望み、破風から出そうにきりりと手繰って、引窓をカタリと閉めた。

「あれ、奥様。」

「お前、そのお盆なんぞ、早くよ。」と釣鐘にでも隠れたそうに、肩から居間へ飜然と飛込む。

驚いたのはお源坊、ぼうとなって、ただくるくると働く目に、一目輝くと見たばかりで、意気地なくぺたぺたと坐って、偏に恐入ってお辞儀をする。

「御免なさいよ。」

と優い声、はッと花降る留南奇の薫に、お源は恍惚として顔を上げると、帯も、袂も、衣紋も、扱帯も、花いろいろの立姿。まあ! 紫と、水浅黄と、白と紅咲き重なった、矢車草を片袖に、月夜に孔雀を見るような。

め組が刎返した流汁の溝溜もこれがために水澄んで、霞をかけたる蒼空が、底美しく映るばかり。先祖が乙姫に恋歌して、かかる処に流された、蛙の児よ、いでや、柳の袂に似た、君の袖に縋れかし。

妙子は、有名な独逸文学者、なにがし大学の教授、文学士酒井俊蔵の愛娘である。

父様は、この家の主人、早瀬主税には、先生で大恩人、且つ御主に当る。さればこそ、嬢様と聞くと斉しく、朝から台所で冷酒のぐい煽り、魚屋と茶碗を合わせた、その挙動魔のごときが、立処に影を潜めた。

まだそれよりも内証なのは、引窓を閉めたため、勝手の暗い……その……誰だか。

十一

妙子の手は、矢車の花の色に際立って、温柔な葉の中に、枝をちょいと持替えながら、

「こんなものを持っていますから、こちらから、」

とまごつくお源に気の毒そう。ふっくりと優しく微笑み、

「お邪魔をしてね。」

「どういたしまして、もう台なしでございまして、」と雑巾を引掴んで、

「あれ、お召ものが、」

と云う内に、吾妻下駄が可愛く並んで、白足袋薄く、藤色の裾を捌いて、濃いお納戸地に、浅黄と赤で、撫子と水の繻珍の帯腰、向う屈みに水瓶へ、花菫の簪と、リボンの色が、蝶々の翼薄黄色に、ちらちらと先ず映って、矢車を挿込むと、五彩の露は一入である。

「ここに置かして頂戴よ。まあ、お酒の香がしてねえ、」と手を放すと、揺々となる矢車草より、薫ばかりも玉に染む、顔酔いて桃に似たり。

「御覧なさい、矢車が酔ってふらふらするわ。」と罪もなく莞爾する。

お源はどぎまぎ、

「ええ、酒屋の小僧が、ぞんざいだものでございますから。」

「ちょいと、溢したの。やっぱり悪戯な小僧さん? 犬にばっかり弄っているんでしょう、私ン許のも同一よ。」

一廉社会観のような口ぶり、説くがごとく言いながら、上に上って、片手にそれまで持っていた、紫の風呂敷包、真四角なのを差置いた。

「お裾が汚れます、お嬢様。」

「いいえ、可のよ、」

と褄は上げても、袖は板の間に敷くのであった。

「あの、お惣菜になすって下さい。」

「どうも恐れ入ります。」

「旨くはありませんよ、どうせ、お手製なんですから。」

少し途切れて、

「お内ですか。」

「はい、」

「主税さんは……あの旦那様は、」

と言いかけて、急に気が着いたか、

「まあ、どうしたの、暗いのねえ。」

成程、そこまでは水口の明が取れたが、奥へ行く道は暗かった。

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「成程、」

「勿論人を見てするこッた、いくら媒酌人をすればッて、人ごとに許しゃしない。そこは地位もあり、財産もあり、学位も有るもんなら、」

と自若として、自分で云って、意気頗る昂然たりで、

「講堂で良妻賢母を拵えて、ちゃんと父兄に渡す方が、双方の利益だもの。教頭だって、そこは考えているよ。」

「で何かね、」

早瀬は、斜めに開き直って、

「そこで僕の、僕の先生の娘を見たんだな。」

「ああ、しかも首席よ。出来るんだね。そうして見た処、優美で、品が良くって、愛嬌がある。沢山ない、滅多にないんだ。高級三百顔色なし。照陽殿裏第一人だよ。あたかも可、学校も照陽女学校さ。」

と冷えた茶をがぶりと一口。浮かれの体とおいでなすって、

「はは、僕ばかりじゃない、第一母様が気に入ったさ。あれなら河野家の嫁にしても、まあまあ……恥かしくない、と云って、教頭に尋ねたら、酒井妙子と云うんだ。ちょっと、教員室で立話しをしたんだから、委いことは追てとして、その日は帰った。

すると昨日、母様がここへ訪ねて来たろう。帰りがけに、飯田町から見附を出ようとする処で、腕車を飛ばして来た、母衣の中のがそれだッたって、矢車の花を。」

と言いかけて、床の間を凝と見て、

「ああ、これだこれだ。」

ひょいと腰を擡げて、這身にぬいと手を伸ばした様子が、一本引抜きそうに見えたので、

「河野!」

「ええ、」

「それから。おい、肝心な処だ。フム、」

乗って出たのに引込まれて、ト居直って、

「あの砂埃の中を水際立って、駈け抜けるように、そりゃ綺麗だったと云うのだ。立留って見送ると、この内の角へ車を下ろしたろう。

そろそろ引返したんです、母様がね。休んでいた車夫に、今のお嬢さんは真中の家へですか。へい、さようで、と云うのを聞いて帰ったのさね。」

と早口に饒舌って、

「美人だねえ。君、」とゆったり顔を見る。

「ト遣った工合は、僕が美人のようだ、厭だ。結婚なんぞ申込んじゃ、」と笑いながら、大に諷するかのごとくに云って、とんと肩を突いて、

「浮気ものめ。」

「浮気じゃない、今度ばかしゃ大真面目だがね、君、どうかなるまいか。」

また甘えるように、顔を正的に差出して、頤を支えた指で、しきりに忙く髯を捻る。

早瀬はしばらく黙ったが、思わず拱いていた腕に解くと、背後ざまに机に肱、片手をしかと膝に支いて、

「貰うさ。」

「え。」

「お貰いなさい。」

「くれようか。」

「話によっちゃ、くれましょう。」

「後継者じゃないんだね。」

「勿論後継者じゃあない。」

「じゃ、まあ、話は出来るとして、」と、澄まして云って、今度は心ありげに早瀬の顔を。

「だが、何だよ、私ア」と云った調子が変って、

「媒介人は断るぜ、照陽女学校の教頭じゃないんだから。」

十八

そうすると英吉が、かねて心得たりの態度で、媒酌人は勿論、しかるべき人をと云ったのが、其許ごときに勤まるものかと、軽んじ賤しめたように聞えて、 「そりゃ、いざとなりゃ、教育界に名望のある道学者先生の叔父もあるし、また父様の幕下で、現下その筋の顕職にある人物も居るんだから、立派に遣ってくれるんだけれど、その君、媒酌人を立てるまでに、」 と手を揃えて、火鉢の上へ突出して、じりりと進み、 「先方の身分も確めねばならず、妙子、(ともう呼棄てにして)の品行の点もあり、まあ、学校は優等としてだね。酒井は飲酒家だと云うから、遺伝性の懸念もありだ。それは大丈夫としてからが、ああいう美しいのには有りがちだから、肺病の憂があってはならず、酒井の親属関係、妙子の交友の如何、そこらを一つ委しく聞かして貰いたいんだがね。」 主税は堪りかねて、ばりばりと烏府の中を突崩した。この暖いのに、河野が両手を翳すほど、火鉢の火は消えかかったので、彼は炭を継ごうとして横向になっていたから、背けた顔に稲妻のごとく閃いた額の筋は見えなかったが、 「もう一度聞こう、何だっけな。先方の身分?」 「うむ、先方の身分さ。」 「独逸文学者よ、文学士だ……大学教授よ。知ってるだろう、私の先生だ。」 「むむ、そりゃ分ってるがね、妙子の品行の点もあり、」 「それから、」 「遺伝さ、」 「肺病かね、」 「親族関係、交友の如何さ。何、友達の事なんぞ、大した条件ではないよ。結婚をすれば、処女時代の交際は自然に疎くなるです。それに母様が厳しく躾れば、その方は心配はないが、むむ、まだ要点は財産だ。が、酒井は困っていやしないだろうか。誰も知った侠客風の人間だから、人の世話をすりゃ、つい物費も少くない。それにゃ、評判の飲酒家だし、遊ぶ方も盛だと云うし、借金はどうだろう。」 主税は黙って、茶を注いだが、強いて落着いた容子に見えた。 「何かね、持参金でも望みなのかね。」 「馬鹿を謂いたまえ。妹たちを縁附けるに、こちらから持参はさせるが、僕が結婚するに、いやしくも河野の世子が持参金などを望むものか。 君、僕の家じゃ、何だ、女の児が一人生れると、七夜から直ぐに積立金をするよ。それ立派に支度が出来るだろう。結婚してからは、その利息が化粧料、小遣となろうというんだ。自然嫁入先でも幅が利きます。もっともその金を、婿の名に書き替るわけじゃないが、河野家においてさ、一人一人の名にして保管してあるんだから、例えば婿が多日月給に離れるような事があっても、たちまち破綻を生ずるごとき不面目は無い。 という円満な家庭になっているんだ。で先方の財産は望じゃないが、余り困っているようだと、親族の関係から、つい迷惑をする事になっちゃ困る。娘の縁で、一時借用なぞというのは有がちだから。」 「酒井先生は江戸児だ!」 と唐突に一喝して、 「神田の祭礼に叩き売っても、娘の縁で借りるもんかい。河野!」 と屹と見た目の鋭さ。眉を昂げて、 「髯があったり、本を読んだり、お互の交際は窮屈だ。撲倒すのを野蛮と云うんだ。」 お蔦は湯から帰って来た。艶やかな濡髪に、梅花の匂馥郁として、繻子の襟の烏羽玉にも、香やは隠るる路地の宵。格子戸を憚って、台所の暗がりへ入ると、二階は常ならぬ声高で、お源の出迎える気勢もない。 石鹸を巻いた手拭を持ったままで、そっと階子段の下へ行くと、お源は扉に附着いて、一心に聞いていた。

Table of contents

Inside this edition

  1. 01Part 1
  2. 02Part 2
  3. 03Part 3
  4. 04Part 4
  5. 05Part 5
  6. 06Part 6
  7. 07Part 7
  8. 08Part 8
  9. 09Part 9
  10. 10Part 10
  11. 11Part 11
  12. 12Part 12
  13. 13Part 13
  14. 14Part 14
  15. 15Part 15
  16. 16Part 16
  17. 17Part 17
  18. 18Part 18

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