
Japanese Edition
Literature
月に吠える
Japanese BooksWhale Edition by Sakutaro Hagiwara
病む身体、孤独、街路、竹や月の風景を自由詩の言葉で捉えた、萩原朔太郎の第一詩集。
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Book introduction
月に吠える
萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』は、病む身体や不安、孤独な感覚を、竹、蛙、月夜、街路などの具体的な像に託して描き出す。「竹とその哀傷」「雲雀料理」「悲しい月夜」などのまとまりを通じ、日常の風景が異様な内面世界へと変わっていく。各詩の題と詩行を保ち、散文とは異なる声の動きや反復を読める日本語原文版。
BooksWhale edition
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This edition is based on a public domain text and has been prepared for digital reading by BooksWhale.
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萩原朔太郎は1942年没、原作は1917年刊行。青空文庫の日本語原文を使用し、現代の注記・底本情報・別著者の権利未消滅の文章を除く。
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従兄 萩原栄次氏に捧ぐ
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萩原君。
何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。それは何と云つても素直な優しい愛だ。いつまでもそれは永続するもので、いつでも同じ温かさを保つてゆかれる愛だ。此の三人の生命を通じ、縦しそこにそれぞれ天稟の相違はあつても、何と云つてもおのづからひとつ流の交感がある。私は君達を思ふ時、いつでも同じ泉の底から更に新らしく湧き出してくる水の清しさを感ずる。限りなき親しさと驚きの眼を以て私は君達のよろこびとかなしみとを理会する。さうして以心伝心に同じ哀憐の情が三人の上に益々深められてゆくのを感ずる。それは互の胸の奥底に直接に互の手を触れ得るたつた一つの尊いものである。
私は君をよく知つてゐる。さうして室生君を。さうして君達の詩とその詩の生ひたちとをよく知つてゐる。『朱欒』のむかしから親しく君達は私に君達の心を開いて呉れた。いい意味に於て其後もわれわれの心の交流は常住新鮮であつた。恐らく今後に於ても。それは廻り澄む三つの独楽が今や将に相触れむとする刹那の静謐である。そこには限りの知られぬをののきがある。無論三つの生命は確実に三つの据りを保つてゐなければならぬ。然るのちにそれぞれ澄みきるのである。微妙な接吻がそののちに来る。同じ単純と誠実とを以て。而も互の動悸を聴きわけるほどの澄徹さを以て。幸に君達の生命も玲瓏乎としてゐる。
室生君と同じく君も亦生れた詩人の一人である事は誰も否むわけにはゆくまい。私は信ずる。さうして君の異常な神経と感情の所有者である事も。譬へばそれは憂鬱な香水に深く涵した剃刀である。而もその予覚は常に来る可き悲劇に向て顫へてゐる。然しそれは恐らく凶悪自身の為に使用されると云ふよりも、凶悪に対する自衛、若くは自分自身に向けらるる懺悔の刃となる種類のものである。何故なれば、君の感情は恐怖の一刹那に於て、正しく君の肋骨の一本一本をも数へ得るほどの鋭さを持つてゐるからだ。
然しこの剃刀は幾分君の好奇な趣味性に匂づけられてゐる事もほんとうである。時には安らかにそれで以て君は君の薄い髯を当る。
清純な凄さ、それは君の詩を読むものの誰しも認め得る特色であらう。然しそれは室生君の云ふ通り、ポオやボオドレエルの凄さとは違ふ。君は寂しい、君は正直で、清楚で、透明で、もつと細かにぴちぴち動く。少くとも彼等の絶望的な暗さや頽廃した幻覚の魔睡は無い。宛然凉しい水銀の鏡に映る剃刀の閃めきである。その鏡に映るものは真実である。そして其処には玻璃製の上品な市街や青空やが映る。さうして恐る可き殺人事件が突如として映つたり、素敵に気の利いた探偵が走つたりする。
君の気稟は又譬へば地面に直角に立つ一本の竹である。その細い幹は鮮かな青緑で、その葉は華奢でこまかに動く。たつた一本の竹、竹は天を直観する。而も此竹の感情は凡てその根に沈潜して行くのである。根の根の細かな繊毛のその岐れの殆ど有るか無きかの毛の尖のイルミネエション、それがセンチメンタリズムの極致とすれば、その毛の尖端にかじりついて泣く男、それは病気の朔太郎である。それは君も認めてゐる。
「詩は神秘でも象徴でも何でも無い。詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである。」と君は云ふ。まことに君が一本の竹は水面にうつる己が影を神秘とし象徴として不思議がる以前に、ほんとうの竹、ほんとうの自分自身を切に痛感するであらう。鮮純なリズムの歔欷はそこから来る。さうしてその葉その根の尖まで光り出す。
君の霊魂は私の知つてゐる限りまさしく蒼い顔をしてゐた。殆ど病み暮らしてばかりゐるやうに見えた。然しそれは真珠貝の生身が一顆小砂に擦られる痛さである。痛みが突きつめれば突きつめるほど小砂は真珠になる。それがほんとうの生身であり、生身から滴らす粘液がほんとうの苦しみからにじみ出たものである事は、君の詩が証明してゐる。
外面的に見た君も極めて痩せて尖つてゐる。さうしてその四肢が常に鋭角に動く、まさしく竹の感覚である。而も突如として電流体の感情が頭から足の爪先まで震はす時、君はぴよんぴよん跳ねる。さうでない時の君はいつも眼から涙がこぼれ落ちさうで、何かに縋りつきたい風である。
潔癖で我儘なお坊つちやんで(この点は私とよく似てゐる)その癖寂しがりの、いつも白い神経を露はに顫へさしてゐる人だ。それは電流の来ぬ前の電球の硝子の中の顫へてやまぬ竹の線である。
君の電流体の感情はあらゆる液体を固体に凝結せずんばやまない。竹の葉の水気が集つて一滴の露となり、腐れた酒の蒸気が冷たいランビキの玻璃に透明な酒精の雫を形づくる迄のそれ自身の洗練はかりそめのものではない。君のセンチメンタリズムの信条はまさしく木炭が金剛石になるまでの永い永い時の長さを、一瞬の間に縮める、この凝念の強さであらう。摩訶不思議なる此の真言の秘密はただ詩人のみが知る。
Preview chapter序Preview
詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹することのためでもない。詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。
詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。
すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。これを詩のにほひといふ。(人によつては気韻とか気稟とかいふ)にほひは詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。順つてこのにほひの稀薄な詩は韻文としての価値のすくないものであつて、言はば香味を欠いた酒のやうなものである。かういふ酒を私は好まない。
詩の表現は素樸なれ、詩のにほひは芳純でありたい。
私の詩の読者にのぞむ所は、詩の表面に表はれた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感触してもらひたいことである。私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他言葉や文章では言ひ現はしがたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによつて表現する。併しリズムは説明ではない。リズムは以心伝心である。そのリズムを無言で感知することの出来る人とのみ、私は手をとつて語り合ふことができる。
『どういふわけでうれしい?』といふ質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい』といふ問に対しては何人もたやすくその心理を説明することは出来ない。
思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であつて、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである。
私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。
あの病気にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コップに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。
『どういふわけで水が恐ろしい?』『どういふ工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我々にとつては只々不可思議千万のものといふの外はない。けれどもあの患者にとつてはそれが何よりも真実な事実なのである。そして此の場合に若しその患者自身が……何等かの必要に迫られて……この苦しい実感を傍人に向つて説明しようと試みるならば(それはずゐぶん有りさうに思はれることだ。もし傍人がこの病気について特種の智識をもたなかつた場合には彼に対してどんな惨酷な悪戯が行はれないとも限らない。こんな場合を考へると私は戦慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであらう。恐らくはどのやうな言葉の説明を以てしても、この奇異な感情を表現することは出来ないであらう。
けれども、若し彼に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である。
狂水病者の例は極めて特異の例である。けれどもまた同時に極めてありふれた例でもある。
人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。
原始以来、神は幾億万人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。
とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。
我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。
私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界中の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。
詩は一瞬間に於ける霊智の産物である。ふだんにもつてゐる所のある種の感情が、電流体の如きものに触れて始めてリズムを発見する。この電流体は詩人にとつては奇蹟である。詩は予期して作らるべき者ではない。
以前、私は詩といふものを神秘のやうに考へて居た。ある霊妙な宇宙の聖霊と人間の叡智との交霊作用のやうにも考へて居た。或はまた不可思議な自然の謎を解くための鍵のやうにも思つて居た。併し今から思ふと、それは笑ふべき迷信であつた。
Table of contents
Inside this edition
- 01献辞
- 02序
- 03序
- 04詩集例言
- 05再版の序
- 06竹とその哀傷 — 地面の底の病気の顔
- 07草の茎
- 08竹
- 09竹
- 10すえたる菊
- 11亀
- 12笛
- 13冬
- 14天上縊死
- 15卵
- 16雲雀料理
- 17感傷の手
- 18山居
- 19苗
- 20殺人事件
- 21盆景
- 22雲雀料理
- 23掌上の種
- 24天景
- 25焦心
- 26悲しい月夜 — かなしい遠景
- 27悲しい月夜
- 28死
- 29危険な散歩
- 30酒精中毒者の死
- 31干からびた犯罪
- 32蛙の死
- 33くさつた蛤
- 34内部に居る人が畸形な病人に見える理由
- 35椅子
- 36春夜
- 37ばくてりやの世界
- 38およぐひと
- 39ありあけ
- 40猫
- 41貝
- 42麦畑の一隅にて
- 43陽春
- 44くさつた蛤
- 45春の実体
- 46贈物にそへて
- 47さびしい情慾 — 愛憐
- 48恋を恋する人
- 49五月の貴公子
- 50白い月
- 51肖像
- 52さびしい人格
- 53見知らぬ犬 — 見しらぬ犬
- 54青樹の梢をあふぎて
- 55蛙よ
- 56山に登る
- 57海水旅館
- 58孤独
- 59白い共同椅子
- 60田舎を恐る
- 61長詩二篇 — 雲雀の巣
- 62笛
- 63故田中恭吉氏の芸術に就いて
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