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Littérature

武蔵野

Édition BooksWhale en japonais par Kunikida Doppo

自然観察、記憶、近代の感受性を描く明治文学の散文作品。

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武蔵野

『武蔵野』は、風景へのまなざしと近代的な感受性を重ねた国木田独歩の代表的散文です。自然、記憶、場所の変化が静かに響きます。

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国木田独歩は1908年に没し、『武蔵野』は明治期に発表されています。これらの年代は本日本語原文版の公版性を支えます。

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Musashino

国木田独歩

一「武蔵野の俤(おもかげ)は今纔(わずか)に入間(いるま)郡に残れり」と自分は文政年間に出来た地図で見たことがある。そして其地図に入間郡「小手指原(こてさしはら)久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦ふ事一日か内に三十余度日暮れは平家三里退て久米川に陣を取る明(あく)れは源氏久米川の陣へ押寄ると載(の)せたるは此辺なるべし」と書込んであるのを読んだ事がある。時分は武蔵野の跡の纔に残って居る処とは定めて此古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行って見る積(つもり)で居て未(ま)だ行かないが実際は今も矢張り其通りであろうかと危ぶんで居る。兎(と)も角(かく)、画や歌で計(ばか)り想像して居る武蔵野を其俤(おもかげ)ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願ではあるまい。それほどの武蔵野が今は果していかがであるか、自分は詳(く)わしく此間に答えて自分を満足させたいとの望を起したことは実に一年前の事であって、今は益々(ますます)此望が大きくなって来た。さて此望が果して自分の力で達せらるるであろうか。自分は出来ないとは言わぬ。容易でないと信じて居る、それ丈(だ)け自分は今の武蔵野に趣味を感じて居る。多分同感の人も少なからぬことと思う。それで今、少しく端緒をここに開いて、秋から冬へかけての自分の見て感じた処を書いて自分の望の一小部分を果したい。先ず自分が彼(かの)問に下すべき答は武蔵野の美今を昔に劣らずとの一語である。昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさは斯(かか)る誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かして居るのである。自分は武蔵野の美と言った。美といわんより寧(むし)ろ詩趣といいたい、其方が適切と思われる。

二そこで自分は材料不足の処から自分の日記を種にして見たい。自分は二十九年の秋の初(はじめ)から春の初まで、渋谷村の小さな茅屋(ぼうおく)に住んで居た。自分が彼(かの)望を起したのも其時の事、又た秋から冬のみを今書くというのも其のわけである。九月七日(〇〇〇〇)――「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌(きら)めく、――」これが今の武蔵野の秋の初である。林はまだ夏の緑の其ままであり乍(なが)ら空模様が夏と全く変ってきて雨雲(あまぐも)の南風につれて武蔵野の空低く頻(しき)りに雨を送る其晴間には日の光水気(すいき)を帯びて彼方(かなた)の林に落ち此方(こなた)の杜(もり)にかがやく。時分は屡々(しばしば)思った、こんな日に武蔵野を大観することが出来たら如何(どんな)に美しい事だろうかと。二日置いて九日の日記にも「風強く秋声野(や)にみつ、浮雲変幻たり」とある。恰度(ちょうど)此頃はこんな天気が続いて大空と野との景色が間断なく変化して日の光は夏らしく雲の色風の音は秋らしく(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)極めて趣味深く時分は感じた。先ずこれを今の武蔵野の秋の発端(ほったん)として、自分は冬の終るころまでの日記を左に並べて、変化の大略と光景の要素とを示して置かんと思う。九月十九日(〇〇〇〇)――「朝、空曇り風死す、冷霧寒露、虫声しげし、天地の心なお目さめぬが如し」同二十一日――「秋天拭(ぬぐ)うが如し、木葉火の如くかがやく」十月十九日――「月明かに林影黒し」同二十五日――「朝は霧深く、午後は晴る、夜に入りて雲の絶間の月さゆ、朝まだき霧の晴れぬ間に家を出て野を歩み林を訪(おとな)う」同二十六日――「午後林を訪う。林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想す」十一月四日――「天高く気澄む、夕暮に独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し、星光一点、暮色漸(ようや)く到り、林影漸く遠し」同十八日(〇〇〇〇)――「月を蹈(ふ)んで散歩す、青煙地を這(は)い月光林に砕く」同十九日(〇〇〇〇)――「天晴れ、風清く、露冷やかなり。満目黄葉の中緑樹を雑(まじ)ゆ。小鳥梢(こずえ)に囀る。一路人影なし。独り歩み黙思口吟(くぎん)し、足にまかせて近郊をめぐる」同二十二日(〇〇〇〇〇)――「夜更(ふ)けぬ、戸外は林をわたる風声ものすごし。滴声頻なれども雨は已(すで)に止みたりとおぼし」同二十三日(〇〇〇〇〇)――「昨夜の風雨にて木葉殆(ほとん)ど揺落せり。稲田も殆ど刈り取らる。冬枯の淋しき様となりぬ」同二十四日(〇〇〇〇〇)――「木葉未だ全く落ちず。遠山を望めば、心も消え入らんばかり懐(なつか)し」同二十六日(〇〇〇〇〇)――夜十時記す「屋外は風雨の声ものすごし。滴声応ず。今日は終日霧たひこめて野や林や永久(とこしえ)の夢に入りたらんごとく。午後犬を伴うて散歩す。林に入り木坐す。犬眠る。おりおり時雨しめやかに林を過ぎて落葉の上をわたりゆく音静かなり」同二十七日(〇〇〇〇〇)――「昨夜の風雨は今朝なごりなく晴れ、日うららかに昇りぬ。屋後の丘に立ちて望めば富士山真白に連山の上に聳(そび)ゆ。風清く気澄めり。げに初冬の朝なるかな。田面に水あふれ、林影倒(さかしま)に映れり」十二月二日(〇〇〇〇〇)――「今朝霜、雪の如く朝日にきらめきて美事なり。暫(しばら)くして薄雲かかり日光寒し」三十年一月十三日(〇〇〇〇〇〇〇〇)――「夜更けぬ。風死し林黙す。雪頻りに降る。燈(ともしび)をかかげて戸外をうかがう。降雪火影(ほかげ)にきらめきて舞う。ああ武蔵野沈黙す。而(しか)も耳を澄ませば遠き彼方(かなた)の林をわたる風の音す、果して風声か」同十四日(〇〇〇〇)――「今朝大雪、葡萄棚(ぶどうだな)堕(お)ちんぬ。夜更けぬ。梢をわたる風の音遠く聞ゆ。ああこれ武蔵野の林より林をわたる冬の夜寒(よさむ)の凩(こがらし)なるかな。雪どけの滴声軒をめぐる:同二十日(〇〇〇〇)――「美しき朝。空は片雲なく、地は霜柱白銀の如くきらめく。小鳥梢に囀ず。梢頭針の如し」二月八日(〇〇〇〇)――「梅咲きぬ。月漸く美なり」三月十三日(〇〇〇〇〇)――「夜十二時、月傾き風急に、雲わき、林鳴る」同二十一日(〇〇〇〇〇)――「夜十一時。屋外の風声をきく、忽(たちま)ち遠く忽ち近し。春や襲いし、冬や遁(のが)れし」

Chapitre d'aperçuPart 2Aperçu

六今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居(ぐうきょ)を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、其処で下りて北へ真直(まっすぐ)に四五町ゆくと桜橋という小さな橋がある。それを渡ると一軒の掛茶屋がある、此茶屋の婆さんが自分に向って、「今時分、何にしに来ただア」と問うた事があった。自分は友と顔見合せて笑って、「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答えると、婆さんも笑って、それも馬鹿にした様な笑いかたで、「桜は春咲くこと知らねえだな」と言った。其処で自分は夏の郊外の散歩のどんなに面白いかを婆さんの耳にも解るように話して見たが無駄であった。東京の人は呑気(のんき)だという一語で消されて仕了った。自分等は汗をふきふき、婆さんが剝(む)いて呉れる甜瓜(まくわうり)を喰い、茶屋の横を流れる幅一尺計りの小さな溝(みぞ)で顔を洗いなどして、其処を立出でた。此溝は水は多分、小金井(こがねい)の水道から引いたものらしく、能く澄んで居て、青草の間を、さも心地よさそうに流れて、おりおりこぼこぼと鳴いては小鳥が来て翼をひたし、喉を湿(うる)おすのを待って居るらしい。しかし婆さんは何とも思わないで此水で朝夕、鍋釜を洗うようであった。茶屋を出て、自分等は、そろそろ小金井の堤を、水上の方へのぼり初めた。ああ其日の散歩がどんなに楽しかったろう。成程小金井は桜の名所、それで夏の盛に其堤をのこのこ歩くも余所目(よそめ)には愚かに見えるだろう、しかし其れは未だ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。空は蒸暑(むしあつ)い雲が湧(わ)きいでて、雲の奥に雲が隠れ、雲と雲との間に蒼空が現われ、雲の蒼空に接する処は白銀の色とも雪の色とも譬(たと)え難き純白な透明な、それで何となく穏(おだや)かな淡々しい色を帯びて居る、其処で蒼空が一段と奥深く青々と見える。ただ此ぎりなら夏らしくもないが、さて一種の濁った色の霞のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、凡(す)べての空の模様を動揺、参差(しんし)、任放、錯雑の有様と為し、雲を劈(つんざ)く光線と雲より放つ陰翳(いんえい)とが彼方(かなた)此方(こなた)に交叉(こうさ)して、不羈奔逸の気が何処ともなく空中に微動して居る。林という林、梢という梢、草葉の末に至るまでが、光と熱とに溶けて、まどろんで、怠けて、うつらうつらとして酔って居る。林の一角、直線に断(た)たれて其間から広い野が見える。野良(のら)一面、糸遊上騰(いとゆうじょうとう)して永くは見つめて居られない。自分等は汗をふき乍(なが)ら、大空を仰いだり、林の奥をのぞいたり、天際の空、林に接するあたりを眺めたりして堤の上を喘(あえ)ぎ喘ぎ辿(たど)ってゆく。苦しいか?どうして!身うちには健康がみちみちあふれて居る。長堤三里の間、ほとんど人影がない。農家の庭先、或るは藪(やぶ)の間から突然、犬が現われて、自分等を怪しそうに見て、そしてあくびをして隠れて仕了(しま)う。林の彼方では高く羽ばたきをして雄鶏(おんどり)が時をつくる。それが米倉の壁や杉の森や林や藪に籠(こも)って、ほがらかに聞える。堤の上にも家鶏(にわとり)の群が幾組となく桜の陰などに遊んで居る。水上を遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉を撒(ま)いたような一種の陰影のうちに消え、間近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢の如く走ってくる。自分達は或橋の上に立って、流れの上と流れのすそと見比べて居た。光線の具合で流の趣が絶えず変化して居る。水上が突然暗くなるかと見ると、雲の影が流と共に、瞬(またた)く間に走って来て自分達の上まで来て、ふと止まって、急に横にそれて仕了うことがある。暫くすると水上がまばゆく煌(かがや)いて来て、両側の林、堤上の桜、あたかも雨後の春草のように鮮かに緑の色を放って来る。橋の下では何とも言いようのない優しい水音がする。これは水が両岸に激して発するのでもなく、又浅瀬のような音でもない。たっぷりと水量(みずかさ)があって、それで粘土質の殆ど壁を塗った様な深い溝を流れるので、水と水とがもつれからまって、揉(も)み合って、自(おのず)から音を発するのである。何たる人なつかしい音だろう!”―――Let us matchThis water's pleasant tuneWith some old Border song, or catch,That suits a summer's noon.”の句も思い出されて、七十二歳の翁(おきな)と少年とが、そこら桜の木陰にでも坐って居ないだろうかと見廻したくなる。自分は此流の両側に散点する農家の者を幸福(しあわせ)の人々と思った。無論、此堤の上を麦藁(むぎわら)帽子とステッキ一本で散歩する自分達をも。

七自分と一所に小金井の堤を散歩した朋友は、今は判官になって地方に行って居るが、自分の前号の文を読んで次の如くに書いて送って来た。自分は便利のためにこれを此処に引用する必要を感ずる――武蔵野は俗にいう関(かん)八州の平野でもない。また道灌が傘(かさ)の代りに山吹の花を貰ったという歴史的の原でもない。僕は自分で限界を定めた一種の武蔵野を有して居る。其限界は恰(あたか)も国境又は村境が山や河や、或は古跡や、色々のもので、定めらるるように自ら定められたもので、其定めは次の色々の考から来る。僕の武蔵野の範囲の中には東京がある。しかし之(これ)は無論省(はぶ)かなくてはならぬ、なぜなれば我々は農商務省の官衙(かんが)が巍峨(ぎが)として聳(そび)えて居たり、鉄管事件の裁判が有ったりする八百八街によって昔の面影を想像することが出来ない。それに僕が近ごろ知合にあった独乙(ドイツ)婦人の評に、東京は「新しい都」ということが有って、今日の光景では仮令(たとえ)徳川の江戸で有ったにしろ、批評語を適当と考えられる筋もある。斯様なわけで東京は必ず武蔵野から抹殺せねばならぬ。しかし其市の尽くる処、即ち町外(まちは)ずれは必ず抹殺してはならぬ。僕が考には武蔵野の詩趣を描くには必ず此町外れを一の題目とせねばならぬと思う。例えば君が住(すま)われた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂(ぎょうにんざか)、また君が僕と散歩した事の多い早稲田の鬼子母神(きしもじん)辺(あたり)の町、新宿、白金(しろかね)……また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈国府台(こうのだい)等を眺めた考のみでなく、また其中央に包まれて居る首府東京をふり顧(かえ)った考で眺めねばならぬ。そこで三里五里の外に出で平原を描くことの必要が有る。君の一篇にも生活と自然とが密接して居るということが有り、いかにも左様だ。僕は曽(かつ)て斯ういうことが有る、家弟をつれて多摩川の方へ遠足したときに、一二里行き、また半里行きて家並(やなみ)が有り、また家並に離れ、また家並に出て、人や動物に接し、また草木ばかりになる、此変化のあるので処々に生活を点綴(てんてつ)して居る趣味の面白いことを感じて話したことが有った。此趣味を描くために武蔵野に散在せる駅、駅といかぬまでも家並、即ち製図家の熟語でいう聯檐家屋(れんたんかおく)を描写するの必要がある。また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。六つ玉川などと我々の先祖が名づけたことが有るが武蔵野の多摩川の様な川が、外にどこにあるか。其川が平らな田と低い林との連接する処の趣味は、恰(あたか)も首府が郊外と連接する処の趣味と共に無限の意義がある。また東の方の平面を考えられよ。これは余りに開けて水田が多くて地平線が少し低い故、除外せられそうなれど矢張武蔵野に相違ない。亀井戸の金糸堀(きんしぼり)のあたりから木下川辺(きねがわへん)へかけて、水田と立木と茅屋(ぼうおく)とが趣を成して居る矩合(ぐあい)は武蔵野の一領分である。殊に富士で分明(わか)る。富士を高く見せて恰も我々が逗子(ずし)の「あぶずり」で眺むるように見せるのは此処に限る。又た筑波つくば)で分明(わか)る。筑波の影が低く遥かなるのを見ると我々は関(かん)八州の一隅に武蔵野が呼吸して居る意味を感ずる。しかし東京の南北にかけては武蔵野の領分が甚だせまい。殆ど無いといってもよい。是(こ)れは地勢の然(しか)らしむる処で、且(かつ)鉄道が通じて居るので、乃(すなわ)ち「東京」が此線路に由(よっ)て武蔵野を貫いて直接に他の範囲と連接して居るからで有る。僕はどうも左(さ)う感じる。そこで僕は武蔵野は先ず雑司谷(ぞうしがや)から起って線を引いて見ると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越(かわごえ)近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円(まる)く甲武線の立川駅に来る。此範囲の間に所沢、田無(たなし)などいう駅がどんなに趣味が多いか……殊に夏の緑の深い頃は。扨(さ)て立川から多摩川を限界として上丸(かみまる)辺まで下る。八王子は決して武蔵野には入れられない。そして丸子(まるこ)から下目黒に返る。此範囲の間に布田(ふだ)、登戸(のぼりと)、二子(ふたこ)などのどんなに趣味の多いか。以上は西半面。東の反面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川(きねがわ)から堀切(ほりきり)を包んで千住近傍へ到って止まる。此範囲は異論が有れば取除いても宜(よ)い。併(しか)し一種の趣味が有って武蔵野に相違ない事は前に申した通りである――

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  1. 01Part 1
  2. 02Part 2

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