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源氏物語
Edición BooksWhale en japonés de Murasaki Shikibu
平安王朝の恋、権力、記憶、無常を描く、日本文学を代表する長編古典。
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源氏物語
『源氏物語』は、光源氏を中心に宮廷社会の恋愛、栄華、喪失、時間の移ろいを描いた日本古典文学の代表作です。繊細な心理描写と優雅な文体により、世界文学の中でも特別な位置を占めています。BooksWhale では日本語原文版として、オンライン読書、EPUB、PDF に対応します。
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紫式部は平安時代の作者であり、『源氏物語』は11世紀初頭に成立した古典作品です。これらの年代は、この日本語原文版のパブリックドメイン根拠を支持します。
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源氏物語
紫式部
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桐壷
いづれのおほん時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやんごとなききはにはあらぬが優れて時めきたまふ有りけり。始より我はと思ひあがりたまへるおほん方々、めざましきものにおとしめ猜みたまふ。同じ程、其より下﨟󠄀の更衣たちはまして安からず。朝夕の宮仕につけても人の心を動かし怨を負ふつもりにやありけむ、いとあつしくなりゆき物心ぼそげに里がちなるを、いよいよ飽かず哀なるものに覺ほして人の謗をも得憚らせたまはず世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。上達部うへ人などもあいなく目をそばめつゝ、いとまばゆき人の御おぼえなり。もろこしにもかゝる事のおこりにこそ世も亂れ惡しかりけれと、やうやう天の下にもあぢきなう人のもてなやみぐさになりて楊貴妃のためしも引き出でつべうなり行くにいとはしたなきこと多かれど、辱き御心ばへの類なきを賴にて交らひたまふ。父の大納言はなくなりて、母北の方なむいにしへの人の由あるにて、親うち具しさしあたりて世のおぼえ華やかなるおほん方々にも劣らず何事の儀式をももてなしたまひけれど、とりたてゝはかばかしき御後見しなければ事とある時は猶より所なく心細げなり。さきの世にもおほん契や深かりけむ、世になく淸らなる玉のをのこ皇子さへ生れた まひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ參らせて御覽ずるに珍らかなるちごのおほんかたちなり。一のみこは右大臣の女御のおほん腹にてよせ重く疑なきまうけの君と世にもてかしづき聞ゆれどこのおほん匂ひには並び給ふべくもあらざりければ大方のやんごとなき御おもひにてこの君をば私物におぼほしかしづきたまふこと限なし。始よりおしなべての上宮仕したまふべききはにはあらざりき。おぼえやんごとなくしやうずめかしけれどわりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊の折々何事にも故ある事の節々にはまづ參う上らせたまふ。ある時には大殿籠りすぐしてやがてさぶらせたまふなど、あながちにおまへ去らずもてなさせたまひし程に、おのづから輕き方にも見えしを、この皇子生れたまひて後はいと心殊に思ほしおきてたれば、坊にも善うせずはこの皇子の居たまふべきなめりと、一のみこの女御は覺し疑へり。人より先に參りたまひてやんごとなき御思ひなべて思ひ聞えさせたまひける。畏き御蔭をば賴み聞えながら、おとしめ疵を求め給ふ人は多く我が身はかよわく、ものはかなき有樣にてなかなかなる物思をぞしたまふ。御局は桐壷なり。數多のおほん方々を過ぎさせたまひつゝ隙なき御まへわたりに人の御心を盡したまふも、實にことわりと見えたり。參う上りたまふにも、あまり打ち頻る折々は內階、渡殿、此處彼處の道に怪しきわざをしつゝ、御送り迎への人のきぬの裾堪へ難うまさなきことどもあり。又ある時はえさらぬめだうの戶をさしこめ此方彼方心を合せてはしたなめ煩はせ給ふ時も多 かり。事にふれて數知らず苦しきことのみ增ればいと痛う思ひわびたるをいとゞ哀と御覽じて、後凉殿にもとよりさぶらひ給ふ更衣の曹子をほかに移させたまひて、うへ局にたまはす。その怨ましてやらむ方なし。このみこ三つになりたまふ年おほん袴着のこと一の宮の奉りしに劣らず、くらづかさをさめ殿の物を盡していみじうせさせ給ふ。それにつけても世のそしりのみ多かれど、このみこのおよすげもて坐する御かたち、心ばへありがたく珍しきまで見え給ふを得猜みあへたまはず。ものゝ心知りたまふ人は、かゝる人も世に出でおはするものなりけりと淺ましきまで目を驚かしたまふ。その年の夏みやすどころはかなき心地に煩ひて、まかでなむとしたまふを、暇更に許させたまはず。年ごろ常のあつしさになりたまへれば御目馴れて「猶暫し試みよ」とのみのたまはするに日々に重り給ひてたゞ五六日の程にいと弱うなれば母君なくなく奏してまかでさせ奉りたまふ。かゝる折にも、あるまじき耻もこそと心づかひして、みこをば留め奉りて忍びてぞ出で給ふ。限あれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覽じだに送らぬおぼつかなさをいふ方なく悲しと覺さる。いと匂ひやかに美くしげなる人の痛う面瘦せていと哀とものを思ひしみながらことに出でゝも聞えやらずあるかなきかに消え入りつゝものしたまふを御覽ずるに、きし方行く末おぼしめされず萬の事をなくなく契りのたまはすれど、おほんいらへもえ聞えたまはずまみなどもいとたゆげにていとゞなよなよと我かの氣色にて臥したれば、いかさまにかとおぼしめし惑はる。てぐるまの宣旨などのたまはせても又入らせ給ひては更にゆるさせたまはず、「限あらむ道に も後れ先だゝじと契らせたまひけるを、さりとも打ち捨てゝはえ行きやらじ」とのたまはするを、女もいといみじと見奉りて、
「かぎりとて別るゝ道の悲しきにいかまほしきは命なりけり。いと斯思う給へましかば」と息も絕えつゝ聞えまほしげなることはありげなれどいと苦しげにたゆげなれば、かくながらともかくもならむを御覽じはてむとおぼしめすに、今日始むべきいのりどもさるべき人々うけ給はれる「今宵より」と聞え急がせば、わりなくおもほしながらまかでさせたまひつ。御胸のみつとふたがりてつゆまどろまれず明しかねさせたまふ。御使の行きかふ程もなきに猶いぶせさを限なくのたまはせつるを「夜中うち過ぐる程になむ絕え果て給ひぬる」とて泣き騷げば、御使もいとあへなくて歸り參りぬ。聞しめすおほん心惑ひ、何事も覺しめしわかれず籠り坐します。みこはかくてもいと御覽ぜまほしけれど、かゝる程にさぶらひたまふれいなき事なれば、まかで給ひなむとす。何事のあらむとも思ほしたらず、さぶらふ人々の泣き惑ひうへもおほん淚の隙なく流れおはしますを怪しと見奉りたまへるを、よろしきことだにかゝる別の悲しからぬはなきわざなるを、まして哀にいふがひなし。限あればれいの作法にをさめ奉るを母北の方「同じけぶりにものぼりなむ」と泣きこがれたまひて御送の女房の車に慕ひ乘り給ひて愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに坐しつきたる心地いかばかりかはありけむ。「空しき御からをみるみる尙おはするものと思ふがいとかひなけれは、灰になり給はむを見奉りて、今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむ」とさかしうの たまひつれど、車より落ちぬべう惑ひたまへば、「さは思ひつかし」と人々もて煩ひ聞ゆ。內より御使あり、三位の位贈りたまふよし勅使來てその宣命讀むなむ悲しき事なりける。女御とだにいはせずなりぬるが飽かず口惜しうおぼさるれば今ひときざみの位をだにと贈らせたまふなりけり。これにつけても憎みたまふ人々多かり。もの思ひ知りたまふは、さまかたちなどのめでたかりしこと心ばせのなだらかにめやすく憎み難かりしことなど今ぞおぼし出づる。さま惡しきおほんもてなし故こそすげなう猜みたまひしか、人がらの哀になさけありし御心をうへの女房なども戀ひ忍びあへり。なくてぞとは、かゝる折にやと見えたり。はかなく日頃過ぎて後のわざなどにも細かにとぶらはせたまふ。程經るまゝにせむ方なう悲しう覺さるゝにおほん方々の御とのゐなども絕えてしたまはずたゞ淚にひぢて明し暮させたまへば、見奉る人さへ露けき秋なり。「なきあとまで人の胸あくまじかりける人の御覺えかな」とぞ弘徽殿などには尙ゆるしなうのたまひける。一の宮を見奉らせたまふにも若宮のおほん戀しさのみおもほし出でつゝ、親しき女房御めのとなどを遣しつゝ有樣を聞しめす。
野分だちて俄にはだ寒き夕暮の程、常よりも覺し出づる事多くてゆげひの命婦といふを遣す。夕づく夜のをかしき程に出し立てさせたまうて、やがて詠めおはします。かうやうの折は御遊などせさせたまひしに、こゝろ異なるものゝ音を搔き鳴らし、はかなく聞え出づる言の葉も人よりは異なりしけはひかたちの、面影につとそひておぼさるゝも、やみのうつゝには尙劣りけり。命婦彼處にまかで着きて門ひき入るゝよりけはひ哀なり。やもめずみなれど、人 一人のおほんかしづきにとかく繕ひ立てゝ、めやすき程にてすぐしたまへるを、闇にくれてふし沈みたまへる程に草も高くなり野分にいとゞ荒れたる心地して月かげばかりぞ八重葎にも障らずさし入りたる。南おもてにおろして、母君もとみにえものものたまはず。「今までとまり侍るがいと憂きを、かゝる御使の蓬生のつゆ分け入りたまふにつけても耻しうなむ」とて實にえ堪ふまじく泣い給ふ。「參りてはいとゞ心苦しう心ぎもゝ盡くるやうになむと內侍のすけの奏し給ひしを、もの思ひたまへ知らぬ心地にも實にこそいと忍び難う侍りけれ」とてやゝためらひて御事傳へ聞ゆ。「暫しは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ靜まるにしもさむべき方なく堪へ難きはいかにすべきわざにかとも問ひ合すべき人だになきを、忍びては參り給ひなむや、若宮のいとおぼつかなく露けき中にすぐしたまふも心苦しう覺さるゝを、疾く參り給へなど、はかばかしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつゝ、かつは人も心弱く見奉るらむと覺しつゝまぬにしもあらぬ御氣色の心苦しさに、承はりも果てぬやうにてなむまかで侍りぬる」とて御文奉る。「目も見え侍らぬに、かく畏き仰事を光にてなむ」とて見たまふ。「程經ばすこし打ち紛るゝこともやと待ちすぐす月日に添へていと忍び難きはわりなきわざになむ。いはけなき人も如何にと思ひやりつゝ、諸共にはぐゝまぬおぼつかなさを今は猶昔の形見になずらへてものしたまへ」など、こまやかに書かせたまへり。
「宮城野の露ふきむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」とあれど、え見たまひはて ず。「命長さのいとつらう思うたまへしらるゝに松の思はむことだにはづかしう思ひたまへ侍れば、百敷に行きかひ侍らむ事はましていと憚多くなむ。畏き仰事を度々承りながらみづからはえなむ思ひたまへたつまじき。若宮はいかにおもほししるにか、參り給はむ事をのみなむおぼし急ぐめれば、ことわりに悲しう見奉り侍るなど、うちうちに思ひたまへるさまを奏したまへ。ゆゝしき身に侍れば、かくて坐しますもいまいましう辱く」などのたまふ。宮は大殿籠りにけり。「見奉りて委しく御有樣も奏し侍らまほしきを、待ちおはしますらむを、夜更け侍りぬべし」とて急ぐ。「暮れ惑ふ心の闇も堪へ難きかたはしをだにはるくばかりに聞えまほしう侍るをわたくしにも心のどかにまかでたまへ。年ごろ嬉しくおもだゝしきついでにのみ立ち寄りたまひしものを、かゝるおほんせうそこにて見奉る、かへすがへすつれなき命にも侍るかな。生れし時より思ふ心ありし人にて、故大納言いまはとなるまで、たゞこの人の宮仕のほい必遂げさせ奉れ、我なくなりぬとて口惜しう思ひくづほるなと、返す返す諫め置かれ侍りしかば、はかばかしう後見思ふ人なき交らひはなかなかなるべき事と思うたまへながら、たゞかの遺言を違へじとばかりに出したて侍りしを、身に餘るまでの御志の萬に辱きに、人げなき耻をかくしつゝ交らひ給ふめりつるを、人のそねみ深く積り安からぬ事多くなり添ひ侍るに、橫さまなるやうにて終にかくなり侍りぬれば、却りてはつらくなむ畏き御志を思う給へられ侍る。これもわりなき心の闇になむ」といひもやらずむせかへりたまふ程に夜も更けぬ。「うへも然なむ、我が御心ながらあながちに人目驚くばかりおぼさ れしも、長かるまじきなりけりと、今はつらかりける人の契になむ、世にいさゝかも人の心をまげたる事はあらじと思ふを、たゞこの人ゆゑにて、あまたさるまじき人の恨を負ひしはてはてはかううち捨てられて、心治めむ方なきに、いとゞ人わろくかたくなになりはつるもさきの世ゆかしうなむと、うち返しつゝおほんしほたれがちにのみおはします」と語りてつきせず、なくなく夜いたう更けぬれば「今宵すぐさず御かへり奏せむ」と急ぎ參る。月は入方の空淸う澄み渡れるに、風いと凉しく吹きて叢の蟲の聲々催しがほなるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。
「鈴蟲のこゑのかぎりをつくしても長き夜あかずふる淚かな」。えも乘りやらず。
「いとゞしく蟲の音しげき淺茅生に露おきそふる雲の上人。かごとも聞えつべくなむ」といはせ給ふ。をかしき御贈物などあるべき折にもあらねば、たゞかの御形見にとてかゝるやうもやと殘しおきたまへりける御さうぞくひとくだり、みくしあげの調度めく物添へたまふ。若き人々、悲しき事は更にもいはず、うちわたりを朝夕にならひていとさうざうしく、うへの御有樣など思ひ出て聞ゆれば、疾く參りたまはむことをそゝのかし聞ゆれど、かくいまいましき身の添ひ奉らむもいと人ぎゝ憂かるべし。又見奉らでしばしもあらむは、いと後めたう思ひ聞え給ひて、すがすがともえ參らせ奉りたまはぬなりけり。命婦は、まだ大殿籠らせ給はざりけるを、哀に見奉る。御前の壷前栽のいとおもしろき盛なるを御覽ずるやうにて、忍びやかに心にくき限の女房四五人さぶらはせ給ひておほん物語せさせたまふなりけ り。この頃あけくれ御覽ずる長恨歌の御繪、亭子の院の書かせたまひて、伊勢、貫之によませたまへるやまと言の葉をも、もろこしのうたをも、たゞ其のすぢをぞまくらごとにせさせたまふ。いとこまやかに有樣を問はせたまふ。哀なりつること忍びやかに奏す。御返り御覽ずれば、「いとも畏きは置き所も侍らず。かゝる仰事につけてもかきくらすみだり心地になむ。
荒き風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞ靜心なき」などやうに亂りがはしきを、心治めざりける程と御覽じゆるすべし。いとかうしも見えじとおぼししづむれど、更にえ忍びあへさせたまはず。御覽じ始めし年月のことさへ書き集め萬におぼし續けられて、時のまもおぼつかなかりしを、かくても月日は經にけりと淺ましうおぼしめさる。「故大納言の遺言過たず宮仕のほい深くものしたりし喜はかひあるさまにとこそ思ひ渡りつれ。いふがひなしや」とうちのたまはせていと哀におぼしやる。「かくてもおのづから若宮など生ひ出でたまはゞ、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」などのたまはす。かの贈物御覽ぜさす。なき人のすみか尋ね出でたりけむしるしのかんざしならましかばとおもほすもいとかひなし。
「尋ねゆくまぼろしもがなつてにも魂のありかをそこと知るべく」。繪に書ける楊貴妃のかたちは、いみじき繪師といへども筆かぎりありければいとにほひなし。大液の芙蓉、未央の柳もげにかよひたりしかたちを唐めいたるよそひはうるはしうこそありけめ。懷かしうらうたげなりしをおぼし出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。朝夕のこと ぐさに、羽根をならべ枝を交さむと契らせ給ひしに、かなはざりける命のほどぞ盡せずうらめしき。風の音蟲のねにつけてものゝみ悲しうおぼさるゝに、弘徽殿には久しううへの御局にも參う上り給はず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊をぞし給ふなる。いとすさまじうものしと聞しめす。この頃の御氣色を見奉る上人女房などは、傍痛しと聞きけり。いと押し立ちかどかどしき所物し給ふおほん方にて、ことにもあらずおぼし消ちてもてなし給ふなるべし。月も入りぬ。
「雲の上も淚にくるゝ秋の月いかですむらむ淺茅生の宿」。おぼしやりつゝ燈火を挑け盡して起き坐します。右近のつかさのとのゐまうじの聲聞ゆるは丑になりぬるなるべし。人目をおぼしてよるのおとゞに入らせ給ひても、まどろませ給ふ事かたし。あしたに起きさせ給ふとても、明くるも知らでとおぼし出づるにも猶朝まつりごとは怠らせ給ひぬべかめり。物なども聞しめさず、あさかれひのけしきばかり觸れさせ給ひて大床子のおものなどはいと遙に覺しめしたれば、陪膳にさぶらふかぎりは心苦しき御氣色を見奉り嘆く。すべて近くさぶらふかぎりは男女「いとわりなきわざかな」と言ひ合せつゝ歎く。「さるべき契こそはおはしましけめ。そこらの人のそしりうらみをも憚らせ給はずこのおほん事にふれたることをばだうりをも失はせ給ひ今はたかく世の中の事をもおぼしすてたるやうになり行くはいとたいだいしき業なり」とひとのみかどの例まで引き出でつゝさゞめき歎きけり。
月日經て若宮參り給ひぬ。いとゞこの世のものならず淸らにおよすげ給へれば、いとゞゆゝしうおぼした り。明くる年のはる坊定まり給ふにも、いとひきこさまほしう覺せど、御後見すべき人もなく又世のうけひくまじき事なれば、なかなか危くおぼし憚りて色にも出させ給はずなりぬるを、「さばかりおぼしたれど限こそありけれ」と世の人も聞え女御も御心おちゐ給ひぬ。かの御おば北の方慰むかたなくおぼし沈みて「おはすらむ所にだに尋ね行かむ」と願ひ給ひししるしにや終に亡せ給ひぬれば、又これを悲びおぼすこと限なし。皇子六つになり給ふ年なればこの度はおぼし知りて戀ひ泣き給ふ。年ごろ馴れ睦び聞え給へるを見奉り置くかなしびをなむかへすがへすのたまひける。今はうちにのみさぶらひ給ふ。七つになり給へばふみはじめなどせさせ給ひて世にしらず聰う賢くおはすればあまりに恐しきまで御覽ず。「今は誰も誰もえ憎み給はじ。母君なくてだにらうたうし給へ」とて弘徽殿などにも渡らせ給ふ御供にはやがてみすの內に入れ奉り給ふ。いみじきものゝふ、あたかたきなりとも見てはうち笑まれぬべきさまのし給へれば、えさし放ち給はず。をんな御子たちふたどころこの御腹におはしませどなずらひ給ふべきだにぞなかりける。おほん方々もかくれ給はず今よりなまめかしう耻しげにおはすればいとをかしううち解けぬあそびぐさに誰も誰も思ひ聞え給へり。わざとの御學問はさるものにて、琴笛のねにも雲居を響かし、すべて言ひ續けばことごとしううたてぞなりぬべき人のおほんさまなりける。そのころ高麗うどの參れるか中にかしこき相人ありけるを聞しめして、宮の內に召さむ事は宇多の帝のおほん誡あれば、いみじう忍びてこの皇子を鴻臚館に遣したり。御後見だちて仕う奉る右大辨の子のやうに思はせ て率て奉る。相人驚きてあまたゝび傾ぶきあやしぶ。「國の親となりて帝王のかみなき位にのぼるべき相おはします人のそなたにて見れば亂れ憂ふる事やあらむ。おほやけのかためとなりて天の下を輔くる方にて見れば又その相違ふべし」といふ。辨もいとざえかしこき博士にて、云ひ交したる事どもなむいと典ありける。文など作り交して、今日明日歸り去りなむとするに、かくありがたき人にたいめんしたるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、皇子もいと哀なる句を作り給へるを限なうめで奉りて、いみじき贈物どもを捧げ奉る。おほやけよりも多くもの賜はす。おのづから事廣ごりて、漏させ給はねど、春宮のおほぢおとゞなど、いかなる事にかとおぼし疑ひてなむありける。帝畏き御心に、やまとさうをおほせておぼしよりにけるすぢなれば、今までこの君をみこにもなさせ給はざりけるを、相人は誠に畏かりけりと覺しあはせて、無品親王の外戚のよせなきにてはたゞよはさじ、我が御世もいと定めなきを、たゞびとにておほやけの御後見をするなむゆくさきも賴もしげなる事と覺し定めて、いよいよ道々のざえをならはせ給ふ。きは殊に賢くてたゞ人にはいとあたらしけれど、みことなり給ひなば世のうたがひ負ひ給ひぬべく物し給へば、すくえうのかしこき道の人に考へさせ給ふにも同じさまに申せば、源氏になし奉るべくおぼしおきてたり。年月に添へてみやすどころのおほんことをおぼし忘るゝ折なし。慰むやとさるべき人々を參らせ給へど、なずらひにおぼさるゝだにいと難き世かなと、うとましうのみ萬におぼしなりぬるに、先帝の四の宮の、おほんかたち優れ給へる、聞え高くおはしま す。はゝきさき世になくかしづき聞え給ふを、うへにさぶらふないしのすけは先帝の御時の人にてかの宮にも親しう參り馴れたりければ、「いはけなくおはしましゝ時より見奉り今もほの見奉りて、失せ給ひにしみやすどころの、おほんかたちに似給へる人を三代の宮仕に傳はりぬるにえ見たてまつりつけぬに、きさいの宮の姬宮こそいとよう覺えて生ひ出でさせ給へりけれ。ありがたき御かたち人になむ」と奏しけるに誠にやと御心とまりてねんごろに聞えさせ給ひけり。母きさき、あなおそろしや、春宮の女御のいとさがなくて桐壺の更衣のあらはにはかなくもてなされし例もゆゆしうと覺しつゝみて、すがすがしうもおぼしたゝざりける程に、きさきも亡せ給ひぬ。心細きさまにておはしますに「唯我がをんな御子たちと同じつらに思ひ聞えむ」といとねんごろに聞えさせ給ふ。さぶらふ人々御うしろ見たち、御せうとの兵部卿のみこなど、かく心ぼそくておはしまさむよりはうちずみせさせ給ひて御心も慰むべく覺しなりて參らせ奉り給へり。藤壺と聞ゆ。實におほんかたちありさま怪しきまでぞ覺え給へる。これは人の御きはまさりて思ひなしめでたく、人もえおとしめ聞え給はねば、うけばりて飽かぬことなし。かれは人も免し聞えざりしに御心ざしのあやにくなりしぞかし。おぼし紛るゝとはなけれどおのづから御心うつろひてこよなくおぼし慰むやうなるも哀なるわざなりけり。源氏の君はおほんあたり去り給はぬを、まして繁く渡らせ給ふおほん方はえはぢあへ給はず。いづれのおほん方もわれ人に劣らむと覺いたるやはある。とりどりにいろめでたけれどうちおとなび給へるにいと若う美くしげにて切に隱れ給へどお のづから漏り見奉る。母みやす所はかげだに覺え給はぬを「いとよう似給へり」とないしのすけの聞えけるを若き御心地にいと哀と思ひ聞え給ひて、常に參らまほしうなづさひ見奉らばやとおぼえ給ふ。うへも限なきおほん思ひどちにて「なうとみ給ひそ。怪しくよそへ聞えつべき心地なむする。なめしと覺さでらうたうし給へ。つらつきまみなどはいとよう似たりしゆゑ通ひて見え給ふも似げなからずなむ」など聞え吿げ給へればをさなごゝちにもはかなき花紅葉につけても志を見え奉りこよなう心よせ聞え給へれば、弘徽殿の女御、又この宮とも御中そばそばしきゆゑうちそへて素よりのにくさも立ち出でゝ物しとおぼしたり。世に類なしと見奉り給ひ名高うおはする宮のおほんかたちにも猶にほはしさは譬へむ方なく美くしげなるを、世の人「ひかるきみ」と聞ゆ。藤壺ならび給ひて御おぼえもとりどりなれば「かゞやく日の宮」と聞ゆ。この君のおほん童姿いとかへまうく覺せど十二にて御元服し給ふ。ゐたちおぼしいとなみて限ある事に事を添へさせ給ふ。ひとゝせの春宮の御元服南殿にてありし儀式のよそほしかりし御ひゞきにおとさせ給はず、所々の饗などくらづかさ穀倉院などおほやけごとに仕う奉れる、おそろかなる事もぞと取りわき仰事ありて淸らを盡して仕うまつれり。おはします殿のひんがしの廂東向にいし立てゝくわんざの御座、ひきいれのおとゞの御座こぜんにあり。申の時にぞ源氏參り給ふ。みづらゆひ給へるつらつき顏のにほひさまかへ給はむこと惜しげなり。大藏卿くら人仕うまつる。いと淸らなる御ぐしをそぐ程心苦しげなるを、うへはみやす所の見ましかばとおぼし出づるに堪へ難きを心强く念じ かへさせ給ふ。かうぶりし給ひてみやす所にまかで給ひて御ぞ奉りかへておりて拜し奉り給ふさまに皆人淚落し給ふ。帝はたましてえ忍びあへ給はず。覺し紛るゝ折もありつるを昔の事とりかへし悲しくおぼさる。いとかうきびはなる程はあげおとりやと疑はしくおぼされつるを、淺ましう美くしげさ添ひ給へり。引入のおとゞのみこ腹に唯一人かしづき給ふ御むすめ、春宮よりも御けしきあるを覺し煩ふ事ありけるはこの君に奉らむの御心なりけり。內にも御けしき給はらせ給ひければ「さちばこの折の御後見無かめるを副臥にも」と催させ給ひければ、さ覺したり。さぶらひにまかで給ひて、人々おほみきなどまゐるほどみこたちの御座の末に源氏着き給へり。おとゞけしきばみ聞え給ふ事あれど、物のつゝましき程にてともかくもあへしらひ聞え給はず。おまへより內侍の宣旨うけ給はり傳へておとゞ參り給ふべきめしあれば、參り給ふ。御祿の物、うへの命婦取りてたまふ。白きおほうちきに御ぞひとくだり、例の事なり。御盃のついでに
「いときなき初元結に長き世をちぎる心は結びこめつや」。御心ばへありて驚かせ給ふ。
「結びつる心も深きもとゆひにこき紫の色じあせずは」と奏して、長はしよりおりて舞踏したまふ。ひだりのつかさの御馬、くら人所の鷹すゑて賜はり給ふ。御階のもとにみこたち上達部つらねて祿どもしなじなに賜はり給ふ。その日のおまへの折櫃物こものなど右大辨なむ承りて仕うまつらせける。屯食、祿の辛櫃どもなど所せきまで春宮のおほん元服の折にも數まされり。なかなか限もなくいかめしうなむ。その夜おとゞの御里に源氏の君まかでさ せ給ふ。作法世に珍しきまでもてかしづき聞え給へり。いときびはにておはしたるを、ゆゝしう美くしと思ひ聞え給へり。をんな君は少し過ぐし給へるほどにいと若うおはすれば、似げなく耻かしと覺いたり。このおとゞの御おぼえいとやんごとなきに、母宮內のひとつきさい腹になむおはしければいづ方につけても物あざやかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮のおほんおほぢにて終に世の中をしり給ふべき右の大臣のおほん勢は物にもあらずおされ給へり。御子どもあまた腹々に物し給ふ。宮のおほん腹はくらう人少將にていと若うをかしきを、右の大臣の御中はいとよからねどえ見過ぐし給はでかしづき給ふ。四の君にあはせ奉り劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになむ。源氏の君はうへの常に召しまつはせば心安く里住もえし給はず、心の中には唯藤壺のおほん有樣をたぐひなしと思ひ聞えて、さやうならむ人をこそ見め、似るものなくもおはしけるかな、おほひ殿の君いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかず覺え給ひて幼きほどの御ひとへ心にかゝりていと苦しきまでぞおはしける。おとなになり給ひて後はありしやうにみすの內にも入れ給はず、御遊の折々琴笛の音に聞き通ひほのかなる御聲をなぐさめにてうちずみのみ好ましう覺え給ふ。五六日さぶらひ給ひておほい殿に二三日などたえだえにまかで給へど、只今はをさなき御程に罪なくおぼしていとなみかしづき聞え給ふ。おほん方々の人々世の中におしなべたらぬをえりとゝのへすぐりてさぶらはせ給ふ。御心につくべき御遊をし、おふなおふな覺しいたづく。うちにはもとの淑景舍を御曹子にて、母み やす所のおほん方々の人々まかで散らずさぶらばせ給ふ。里の殿はすりしきたくみづかさに宣旨下りて、になう改め造らせ給ふ。もとの木だち山のたゝずまひ面白き所なるを、池の心廣くしなしてめでたく造りのゝしる。かゝる所に思ふやうならむ人をすゑて住まばやとのみ歎かしうおぼしわたる。光君といふ名は、こまうどのめで聞えてつけ奉りけるとぞ言ひ傳へたるとなむ。
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箒木
光源氏名のみことごとしう言ひ消たれ給ふとがめ多かなるにいとゞかゝるすきごとどもを末の世にも聞き傳へて輕びたる名をや流さむと忍び給ひけるかくろへごとをさへ語り傳へけむ人の物言ひさがなさよ。さるはいと痛く世を憚りまめだち給ひけるほどになよびかにをかしき事はなくて、交野の少將には笑はれ給ひけむかし。まだ中將などにものし給ひし時はうちにのみさぶらひようし給ひておほい殿にはたえだえまかで給ふを、「しのぶのみだれや」と疑ひ聞ゆることもありしかど、さしもあだめき目馴れたるうちつけのすきずきしさなどはこのましからぬ御本性にて、稀にはあながちに引きたがへ心づくしなることを御心におぼしとゞむるくせなむ、あやにくにて、さるまじき御ふるまひもうちまじりける。なが雨晴間なきころ、うちの御物忌さしつゞきていとゞ長居さぶらひ給ふをおほとのにはおぼつ かなく恨めしく覺したれど、萬の御よそひ何くれと珍らしきさまに調じ出で給ひつゝ御むすこの君だち唯この御とのゐ所の宮仕を勤め給ふ。宮腹の中將は中に親しく馴れ聞え給ひて遊たはぶれをも人よりは心やすくなれなれしくふるまひたり。右の大臣のいたはりかしづき給ふすみかはこの君もいとものうくしてすきがましきあだ人なり。里にても我がかたのしつらひまばゆくして君のいでいりし給ふにうちつれ聞え給ひつゝよるひる學問をも遊をも諸共にしてをさをさ立ち後れず、いづくにてもまつはれ聞え給ふほどに、おのづからかしこまりをもおかず、心の中に思ふことをも隱しあへずなむむつれ聞え給ひける。
つれつれと降りくらしてしめやかなる宵の雨に殿上にもをさをさ人ずくなに御とのゐ所も例よりはのどやかなる心地するに、おほとなぶら近くてふみどもなど見給ふついでに近き御厨子なるいろいろの紙なるふみどもをひき出でゝ、中將わりなくゆかしがれば、「さりぬべき少しは見せむ。かたはなるべきもこそ」とゆるし給はねば、「そのうちとけて傍痛しと覺されむこそゆかしけれ。押しなべたる大かたのは數ならねどほどほどにつけてかきかはしつゝも見侍りなむ。おのがじゝうらめしき折々待顏ならむ夕暮などのこそ見所はあらめ」と怨ずれば、やんごとなく切に隱し給ふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨子などにうち置きちらし給ふべくもあらず深くとり隱し給ふべかめればこれは二のまちの心やすきなるべし。かたはしづゝ見るに、「かくさまざまなるものどもこそ侍りけれ」とて、心あてに「それかかれか」など問ふ中に言ひ當つるもあり、もてはなれたる事をも思ひよせて疑ふもをかしと覺 せど、詞ずくなにてとかく紛はしつゝとり隱し給ひつ。「そこにこそ多く集へ給ふらめ。少し見ばや。さてなむこの廚子も心よく開くべき」とのたまへば、「御覽じ所あらむこそ難く侍らめ」など聞え給ふ序に「女のこれはしもと難つくまじきは難くもあるかなと、やうやうなむ見給へ知る。唯うはべばかりのなさけに手走り書き、折節のいらへ心得てうちしなどばかりは隨分によろしきも多かりと見給ふれど、そも誠にその方を取り出でむ選に必漏るまじきはいと難しや。我が心得たる事ばかりをおのかじゝ心をやりて人をばおとしめなど、傍痛き事多かり。親など立ち添ひてもてあがめておひさき籠れる窓の內なる程は唯かたかどを聞き傅へて心を動す事もあめり。かたちをかしくうちおほどき若やかにて紛るゝ事なき程、はかなきすさびをも人まねに心を入るゝ事もあるにおのづから一つゆゑづけてし出づる事もあり。見る人後れたる方をば言ひ隱しさてありぬべき方をば繕ひて、まねび出すにそれしかあらじとそらにいかゞは推し量り思ひくたさむ。誠かと見もて行くに見劣りせぬやうはなくなむあるべき」とうめきたる氣色も耻しげなれば、いとなべてはあらねど我も覺し合することやあらむ、うちほゝゑみて、「そのかたかどもなき人はあらむや」とのたまへば、「いとさばかりならむあたりには誰かはすかされ寄り侍らむ。取る方なく口惜しききはと優なりと覺ゆばかり優れたるとは數等しくこそ侍らめ。人のしな高く生れぬれば、人にもてかしづかれて隱るゝこと多くじねんにそのけはひこよなかるべし。中の品になむ人の心々己がじゝの立てたる趣も見えて分かるべき事かたがた多かるべき。下のきざみといふきはになれば、 殊に耳たゝずかし」とていと隈なげなる氣色なるもゆかしくて、「その品々やいかに。いづれを三つの品におきてか分くべき。もとのしなたかく生れながら身は沈み位短くて人げなき、又直人の上達部などまでなりのぼりたる我はがほにて家の內を飾り人に劣らじと思へる、そのけぢめをばいかゞ別くべき」と問ひ給ふ程に、左の馬のかみ、藤式部の丞御物忌に籠らむとて參れり。世のすきものにて物よく言ひ通れるを、中將待ちとりてこの品々辨へ定め爭ふ。いと聞き憎き事多かり。「なりのぼれとも素よりさるべきすぢならぬは世の人の思へる事も、さはいへど猶異なり。又もとはやんごとなきすぢなれど、世にふるたつぎすくなく時世うつろひておほえ衰へぬれば、心はこゝろとして事足らず、わろびたる事ども出で來るわざなめれば、とりどりにことわりて中の品にぞ置くべき。受領と言ひて人の國の事にかゝづらひいとなみて品定まりたる中にも又きざみきざみありて中の品のけしうはあらぬえり出でつべき頃ほひなり。なまなまの上達部よりも、非參議の四位どもの世のおぼえ口惜しからずもとの根ざし賤しからぬが安らかに身をもてなしふるまひたる、いとかはらかなりや。家の內に足らぬ事などはた無かめるまゝに、省かずまばゆきまでもてかしづけるむすめなどのおとしめ難く生ひ出づるも數多あるべし。宮仕に出で立ちて、思ひかけぬさいはいとり出づる例ども多かりかし」などいへば、「すべて賑はゝしきによるべきななり」とて笑ひ給ふを、「こと人の言はむやうに心得ず仰せらる」とて中將にくむ。「もとのしな時世のおぼえうちあひ、やんごとなきあたりの內々のもてなしけはひ後れたちむは更にもいはず、何をして かく生ひ出でけむといふがひなく覺ゆべし。うちあひて優れたらむもことわり、これこそはさるべき事とおぼえて珍かなる事とも心も驚くまじ。なにがしが及ぶべき程ならねば、かみがかみはうち置き侍りぬ。さて世にありと人に知られずさびしくあばれたらむ葎の門に思の外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ限なく珍しくは覺えめ。いかではたかゝりけむと思ふより違へる事なむ、怪しく心とまるわざなべき。父の年老い物むつかしげにふとりすぎ、せうとの顏にくげに思ひやりことなる事なき閨の內に、いといたく思ひあがり、はかなくし出でたる事わざも故なからず見えたらむ、かたかどにてもいかゞ思の外にをかしからざらむ。優れて疵なき方のえらびにこそ及ばざらめ。さるかたにて捨て難き物をば」とて式部を見やれば、「我が妹うとゞものよろしき聞えあるを思ひてのたまふにや」とや心得らむ、ものも言はず。いでやかみの品と思ふだに難げなる世をと君はおぼすべし。白き御ぞどものなよゝかなるに直衣ばかりをしどけなく着なし給ひて紐などもうち捨てゝ添ひ臥し給へる御火影いとゞめでたく、女にて見奉らまほし。この御爲にはかみが上を選り出でゝも猶飽くまじく見え給ふ。さまざまの人のうへどもを語り合せつゝ、「大方の世につけて見るには咎なきも、我が物とうち賴むべきを撰ばむに、多かる中にもえなむ思ひ定むまじかりける。をのこのおほやけに仕う奉りはかばかしき世のかためなるべきも誠のうつはものとなるべきを、取り出さむにはかたかるべしかし。されど畏しとても一人二人世の中をまつりごちしるべきならねば、かみはしもに肋けられ下は上に靡きて事廣きにゆつらふらむ、せばき 家のうちのあるじとすべき人一人を思ひめぐらすに、たらはで惡しかるべき大事どもなむかたがたおほかる。とあればかゝりあふさきるさにてなのめにさてもありぬべき人の少きを、すきずきしき心のすさびにて人の有樣をあまた見合せむの好みならねど、偏に思ひ定むべきよるべとすばかりに、同じくば我がちからいりをし直しひき繕ふべき所なく、心にかなふやうもやと撰りそめつる人の定まり難きなるべし。必ずしも我が思ふにかなはねど、見そめつる契ばかりを捨て難く思ひとまる人は物まめやかなりと見え、さてたもたるゝ女の爲も心にくゝ推し量らるゝなり。されど何か世の有樣を見給へ集むるまゝに、心に及ばずいとゆかしき事もなしや。君たちの上なき御えらびには、ましていかばかりの人かはたぐひ給はむ。所せく思ひ給へぬだにかたちきたなげなく若やかなる程の己がじゝは塵も附かじと身をもてなし、文を書けどおほどかにことえりをし墨つきほのかに心もとなく思はせつゝ、又さやかにも見てしがなとすべなく待たせ、わづかなる聲聞くばかり言ひよれど、息の下にひき入れことずくななるがいとよくもて隱すなりけり。なよびかに女しと見ればあまりなさけにひき籠められて、とりなせばあだめく。これを初の難とすべし。事が中になのめなるまじき人の後見の方は物のあはれ知りすぐし、はかなきついでの情あり、をかしきに進める方なくてもよかるべしと見えたるに、又まめまめしきすぢを立てゝ、耳はさみがちにびさうなき家とうじの偏にうちとけたる後見ばかりをして朝夕のいでいりにつけても公私の人のたゝずまひ善き惡しき事の目にも耳にもとまる有樣を疎き人にわざとうちまねばむやは。 近くて見む人の聞きわき思ひ知るべからむに、語りも合せばやとうちも笑まれ淚もさしぐみ、もしはあやなきおほやけばらだゝしく心ひとつに思ひあまる事などおほかるを、何にかは聞かせむと思へばうち背かれて人知れぬ思ひいで笑もせられ、哀ともうちひとりごたるゝに、何事ぞなどあはつかにさしあふぎ居たらむはいかゞは口惜しからぬ。唯ひたぶるに子めきて柔かならむ人を、とかく引き繕ひてはなどか見ざらむ。心もとなくとも直し所ある心地すべし。實にさし向ひて見む程は、さてもらうたき方に罪免し見るべきを、立ち離れてはさるべき事をも言ひやり折節にし出でむわざのあだごとにもまめごとにも我が心と思ひ得る事なく深きいたりなからむはいと口惜しくたのもしげなき咎や猶苦しからむ。常は少しそばそばしく、心づきなき人の、折節につけていでばえするやうもありかし」など、隈なき物言ひも定めかねていたくうち歎く。「今は唯しなにもよらじ。かたちをば更にもいはじ。いと口惜しくねぢけがましきおぼえだになくば唯偏に物まめやかに靜なる心のおもむきならむよるべをぞ遂のたのみ所には思ひ置くべかりける。あまりの故由心ばへうち添へたらむをばよろこびに思ひ、少し後れたる方あらむをもあながちに求め加へじ。後安くのどけき所だに强くはうはべのなさけはおのづからもてつけべきわざをや。艷に物耻して恨みいふべき事をも見知らぬさまに忍びて、上はつれなく操作りて、心一つに思ひ餘る時は言はむ方なくすごき言の葉哀なる歌を詠み置き、忍ばるべきかたみを留めて深き山里世はなれたる海づらなどにははひ隱れぬかし。童に侍りし時女房などの物語讀みしを聞きて、いと哀に悲しく心 深き事かなと淚をさへなむ落し侍りし。今思ふにはいとかるがるしく事さらびたることなり。志深からむ男をおきて見る目の前につらき事ありとも人の心を見知らぬやうに逃げ隱れて人を惑はし心をも見むとする程に、長き世の物思ひになる、いとあぢきなき事なり。心深しやなど譽めたてられて、あはれ進みぬればやがて尼になりぬかし。思ひ立つ程はいと心澄めるやうにて世にかへりみすべくも思へらず。いであな悲し、かくはたおぼしなりにけるよなどやうにあひ知れる人來訪らひ、ひたすらに憂しとも思ひ離れぬ男聞きつけて淚おとせば、使ふ人古御達など、君の御心は哀なりけるものをあたら御身をなどいふに、みづから額髮をかき探りて、あへなく心ぼそければうちひそみぬかし。忍ぶれど淚こぼれそめぬれば折々ごとにえ念じえず悔しき事も多かめるに、佛もなかなか心ぎたなしと見給ひつべし。獨にしめるほどよりも、なまうかびにてはかへりて惡しき道にも漂ひぬべくぞ覺ゆる。絕えぬ宿世淺からで尼にもなさで尋ねとりたらむも、やがてその思ひいでうらめしきふしあらざらむや。惡しくも善くもあひそひて、とあらむ折もかゝらむきざみをも見過ぐしたらむ中こそ契深くあはれならめ。我も人も後めたき心おかれじやは。又なのめにうつろふ方あらむ人を恨みて氣色ばみ背かむ、はたをこがましかりなむ。心は移ろふ方ありとも見そめし志いとほしく思はゞ、さる方のよすがに思ひてもありぬるべきに、さやうならむたじろきに絕えぬべきわざなり。すべて萬の事なだらかに、怨ずべき事をば見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをもにくからずかすめなさば、それにつきて哀も增りぬべし。多くは我が心も見る人 から治まりもすべし。あまりむげにうちゆるべ見放ちたるも心安くらうたきやうなれどおのづから輕き方にぞ覺え侍るかし。繫がぬ船の浮きたる例も實にあやなし。さは侍らぬか」といへば中將うなづく。「さしあたりてをかしとも哀とも心にいらむ人の、たのもしげなき疑あらむこそ大事なるべけれ。我が心あやまちなくて見すぐさば、さし直してもなどか見ざらむと覺えたれど、それさしもあらじ。ともかくも違ふべきふしあらむを長閑やかに見忍ばむより外にます事あるまじかりけり」といひて、我が妹の姬君はこの定にかなひ給へりとおもへば、君のうちねぶりて詞まぜ給はぬをさうざうしく心やましと思ふ。馬のかみ物さだめの博士になりてひゞらぎ居たり。中將はこのことわり聞きはてむと心に入れてあへしらひ居給へり。「萬の事によそへておぼせ。木の道のたくみの萬の物を心に任せて作り出すも、臨時のもてあそび物のその物と跡も定まらぬはそばつきざれば見たるも質にかうもしつべかりけりと、時につけつゝさまをかへて今めかしきに目うつりてをかしきもあり。大事として、誠に麗はしき人の調度のかざりとする、定まれるやうあるものを難なくし出づる事なむ猶誠の物の上手はさまことに見えわかれ侍る。又繪所に上手多かれど墨がきに選ばれて次々に更に劣り勝るけぢめふとしも見えわかれず。かゝれど人の見及ばぬ蓬萊の山、荒海のいかれるいをのすがた、唐國の烈しき獸のかたち、目に見えぬ鬼の顏などのおどろおどろしく作りたる物は、心に任せて一きは人の目を驚かしてじちには似ざらめどさてありぬべし。よのつねの山のたゝずまひ、水のながれ、目に近き人の家居有樣、實にと見え懷かしくやはら びたるかたなどを靜にかきまぜて、すくよかならぬ山の氣色木深く世離れてたゝみなし、け近き籬の內をば、その心しらひおきてなどをなむ上手はいと勢殊に、わるものは及ばぬ所多かめり。手を書きたるにも深き事はなくて此處彼處の點ながに走りがき、そこはかとなく氣色ばめるはうち見るにかどかどしくけしきだちたれど、猶誠のすぢをこまやかに書き得たるはうはべの筆消えて見ゆれど今一度とり並べて見れば猶じちになんよりける。はかなき事だにかくこそ侍れ。まして人の心の時に當りて氣色ばめらむ、見る目のなさけをばえ賴むまじく思ひ給へ侍る。その始の事、すきずきしくとも申し侍らむ」とて近く居寄れば、君も目さまし給ふ。中將いみじく信じてつら杖をつきて對ひ居給へり。法の師の世のことわり說き聞かせむ所の心地するもかつはをかしけれど、かゝるついではおのおのむつごともえ忍びとゞめずなむありける。「はやうまだいと下臈に侍りし時哀と思ふ人侍りき。聞えさせつるやうにかたちなどいとまほにも侍らざりしかば、若き程のすきごゝちにはこの人をとまりにとも思ひ留め侍らず、よるべとは思ひながらさうざうしくてとかく紛れありき侍りしを、物怨じをなむいたくし侍りしかば、心づきなういとかゝらでおいらかならましかばと思ひつゝ、あまりいとゆるしなく疑ひ待りしもうるさくて、かく數ならぬ身を見も放たでなどかくしも思ふらむと、心苦しき折々も侍りて、じねんに心治めらるゝやうになむ侍りし。この女のあるやう、素より思ひ至らざりける事にもいかでこの人の爲にはとなき手をいだし、後れたるすぢの心をも猶口惜しくは見えじと思ひ勵みつゝ、とにかくにつけて物まめやかに 後み露にても心に違ふ事はなくもがなと思へりし程に、進める方と思ひしかどとかくに靡き來てなよびゆき、見にくきかたちをもこの人に見や疎まれむとわりなく思ひつくろひ、疎き人に見えばおもてぶせにや思はむと憚り耻ぢて、みさをにもてつけて見馴るゝまゝに心もけしうはあらず侍りしかど、唯この憎き方一つなむ心をさめず侍りし。そのかみ思ひ侍りしやう、かうあながちに從ひおぢたる人なめり、いかで懲るばかりのわざしておどしてこの方も少しよろしくもなりさがなさもやめむと思ひて、誠にうしなども思ひて絕えぬべき氣色ならば、かばかり我に隨ふ心ならば思ひ懲りなむと思ひ給へて、殊更になさけなくつれなきさまを見せて、例の腹立ち怨ずるに、かくおぞましくばいみじき契深くとも絕えて又見じ、かぎりと思はゞかくわりなき物疑ひはせよ、行くさき長く見えむと思はゞつらき事ありとも念じてなのめに思ひなりてかゝる心だに失せなば、いと哀となむ思ふべき、人なみなみにもなり少しおとなびむに添へて又並ぶ人なくなむあるべきなど、賢く敎へたつるかなと思ひ給へて、我れたけくいひそし侍るに、少しうち笑ひて、萬にみだてなく物げなき程をみすぐして人數なる世もやと待つ方はいと長閑に思ひなされて心やましくもあらず、つらき心を忍びて思ひなほらむ折を見つけむと年月を重ねむあいなだのみはいと苦しくなむあるべければ、かたみに背きぬべききざみになむあると、妬げにいふ時に腹だゝしくなりて憎げなる事どもを言ひ勵し侍るに、女もえ治めぬすぢにておよびひとつを引き寄せてくひて侍りしを、おどろおどろしくかこちて、かゝる疵さへつきぬればいよいろ交らひをすべきにも あらず、辱しめ給ふめる官位いとゞしく何につけてかは人めかむ、世を背きぬべき身なめりなどいひおどして、さらば今日こそはかぎりなめれとこのおよびを屈めてまかでぬ。
手を折りてあひ見しことを數ふればこれひとつやは君がうきふし、え怨みじなど言ひ侍ればさすがにうち泣きて、
うきふしを心ひとつに數へきてこや君が手をわかるべきをりなど言ひしろひはべりしかど、誠には變るべき事とも思ひ給へずながら、日比經るまでせうそこも遣さず、あくがれ罷りありくに、臨時の祭の調樂に夜更けていみじうみぞれ降る夜、これかれ罷りあかるゝ所にて思ひめぐらせば、猶家路と思はむ方は又なかりけり。うちわたりの旅寢もすさまじかるべく、氣色ばめるあたりはそゞろ寒くやと思う給へられしかば、いかゞ思へると氣色も見がてら、雲をうち拂ひつゝまかでゝ、なま人わろく爪くはるれどさりともこよひ日比のうらみは解けなむと思う給へしに、火ほのかに壁に背け、なえたるきぬどものあつこえたるおほいなるこにうちかけて引き上ぐべき物のかたびらなどうち上げて、今宵ばかりやと待ちけるさまなり。さればよと心おごりするにさうじみはなし。さるべき女房どもばかりとまりて、親の家にこの夜ざりなむ渡りぬると答へ侍り。艷なる歌も詠まず氣色ばめるせうそこもせでいとひたやごもりになさけなかりしかば、あへなき心地して、さがなくゆるしなかりしも我を疎みねと思ふ方の心やありけむと、さしも見給へざりし事なれど心やましきまゝに思ひ侍りしに、着るべき物常よりも心留めたる色あひし、さまいとあらまほしくて、さすがに 我が見捨てゝむ後をさへなむ思ひやり後見たりし。さりとも絕えて思ひ放つやうはあらじと思ひ給へてとかく言ひ侍りしを、背きもせず尋ね惑はさむとも隱れ忍びず、輝かしからずいらへつゝ、唯ありし心ながらはえなむ見すぐまじき、改めて長閑に思ひならばなむあひ見るべきなど言ひしを、さりともえ思ひ離れじと思ひ給へしかば、暫しこらさむの心にてしか改めむともいはず、いたくつなびきて見せしあひだに、いといたく思ひ歎きてはかなくなり侍りにしかば戲ぶれ憎くなむ覺え侍りし。偏にうち賴めたらむ方は、さばかりにてありぬべくなむ思ひ給へ出でらるゝ。はかなきあだごとをも誠の大事をも、言ひ合せたるにかひなからず、たつた姬といはむにもつきなからず、七夕の手にも劣るまじく、その方も具してうるさくなむ侍りし」とて、いと哀と思ひ出でたり。中將「そのたなばたの裁ち縫ふ方をのどめて長き契りにぞあえまし。實にそのたつた姬の錦には、又しくものあらじ。はかなき花紅葉といふも折節の色あひつきなくはかばかしからぬは露のはえなく消えぬるわざなり。さるによりかたき世ぞとは定め兼ねたるぞや」と、いひはやし給ふ。「さて又同じ頃罷り通ひし所は、人も立ちまさり心ばせ誠に故ありと見えぬべく、うち讀み走りかき、搔い彈く爪音手つき口つき皆たどたどしからず見聞き渡り侍りき。見るめも事もなく侍りしかば、このさがなものをうちとけたる方にて時々かくろへ見侍りし程は、いとこよなく心とまり侍りき。この人うせて後いかゞはせむ。哀ながらも過ぎぬるはかひなくてしばしば罷り馴るゝまゝに、少しまばゆく、艷に好ましき事は目につかぬ所あるに、うち賴むべくは見えずかれがれにのみ 見せ侍る程に、忍びて心かはせる人ぞありけらし。かみな月のころほひ月おもしろかりし夜うちよりまかで侍るに、あるうへびと來會ひてこの車にあひ乘りて侍れば、大納言の家に罷りとまらむとするに、この人のいふやう、今宵人まつらむやとなむ怪しく心苦しきとて、この女の家はたよきぬ道なりければ、荒れたるくづれより池の水かげ見えて月だにやどれるすみかを過ぎむもさすがにており侍りぬかし。素よりさる心をかはせるにやありけむ、この男いたくすゞろぎて門近きらうのすのこだつものに尻かけて、とばかり月を見る。菊いと面白く移ろひ渡りて、風にきほへる紅葉のみだれなど哀と實に見えたり。懷なりける笛取り出でゝ吹きならし、かげもよしなどつゞしりうたふ程に、よく鳴る和琴をしらべとゝのへたりけるをうるはしく搔き合せたりし程、けしうはあらずかし。りちのしらべは女の物柔かに搔きならしてすの內より聞えたるも今めきたる物の聲なれば、淸く澄める月にをりつきなからず、男痛くめでゝすのもとに步み來て、にはの紅葉こそふみわけたる跡もなけれなどねたまず。菊を折りて
琴のねも月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける、わろかめりなどいひて、今一聲聞きはやすべき人のある時に手なのごひ給ひそなど、いたくあざれかゝれば、女いたう聲つくろひて
木がらしに吹きあはすめる笛のねをひきとゞむべき言のはぞなきと、なまめきかはすににくゝなるをも知らで又箏の琴を盤しき調に調べて今めかしくかい彈きたるつまおとか どなきにはあらねど、まばゆき心地なむし侍りし。唯時々うち語らふ宮仕人などの飽くまでざればみ過ぎたるは、さても見る限はをかしうもありぬべし。時々にてもさる所にて忘れぬよすがと思う給へむには、賴もしげなくさしすぐいたりと心おかれて、その夜の事にことづけてこそ罷りたえにしか。この二つの事を思う給へ合するに、若き時の心にだに猶さやうにもて出でたる事はいと怪しく賴もしげなく覺え侍りき。今より後は、ましてさのみなむ思う給へらるべき。御心のまゝに、をらば落ちぬべき萩の露、ひろはゞ消えなむと見ゆる玉ざゝの上のあられなどの艷にあえかなるすきずきしさのみこそをかしくおぼさるらめ。今さりとも、七年あまりが程におぼし知り侍りなむ。なにがしが賤しき諫にて、すきたわめらむ女には心おかせ給へ。あやまちして見む人のかたくななる名をも立てつべきものなり」と誡む。中將例のうなづく。君少しかたゑみて、「さる事とは覺すべかめり。何方につけても人わろくはしたなかりける御物語かな」とてうち笑みおはさうず。中將「なにがしはしれ者の物語をせむ」とて、「いと忍びて見そめたりし人のさても見つべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしも思う給へざりしかど、馴れ行くまゝに哀とおぼえしかば、たえだえ忘れぬものに思ひ給へしを、さばかりになればうち賴めるけしきも見えき。賴むにつけては、怨めしと思ふ事もあらむと心ながら覺ゆる折々も侍りしを、見知らぬやうにて久しきとだえをもかうたまさかなる人とも思ひたらず、唯朝夕にもてつけたらむ有樣に見えて心苦しかりしかば、賴め渡る事などもありきかし。親もなくいと心細げにて、さらばこの人こそはと 事に觸れて思へるさまもらうたげなりき。かうのどけきにおだしくて久しく罷らざりし頃、この見給ふるわたりよりなさけなくうたてある事をなむさるたよりありてかすめいはせたりける。後にこそ聞き侍りしか、さる憂き事やあらむとも知らず、心には忘れずながらせうそこなどもせで久しく侍りしに、むげに思ひしをれて心細かりければ、をさなき者などもありしに思ひ煩ひて瞿麥の花を拆りておこせたりし」とて淚ぐみたり。「さてその文の詞は」と問ひ給へば、「いさや、異なる事もなかりきや。
山がつのかきほ荒るとも折々に哀はかけよなでしこの露、思ひ出でしまゝに罷りたりしかば、例のうらもなきものからいと物思ひがほにて荒れたる家の露繁きをながめて、蟲の音にきほへる氣色、昔物語めきておぼえ侍りし。
咲きまじる花はいづれとわかねども猶とこなつにしくものぞなき、やまとなでしこをばさし置きてまづちりをだになど親の心をとる。
うちはらふ袖も露けきとこなつにあらし咲きそふ秋も來にけりとはかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず。淚を漏し落してもいと耻かしくつゝましげに紛はし隱してつらきをも思ひ知りけりと見えむはわりなく苦しきものと思ひたりしかば心安くて又とだえ置き侍りしほどに、跡もなくこそかき消ちて失せにしか。まだ世にあらばはかなき世にぞさすらふらむ。哀れと思ひし程に、煩はしげに思ひまどはす氣色見えましかばかくもあこがらさゞらまし。こよなきとだえ置かず、さるものにしなして長く見るやうも侍りな まし。かの瞿麥のらうたく侍りしかばいかで尋ねむと思ひ給ふるを、今にえこそ聞きつけ侍らね。これこそのたまひつるはかなき例なめれ。つれなくてつらしと思ひけるも知らであはれ絕えざりしもやくなき片思なりけり。今やうやう忘れ行くきはに、かれはたえしも思ひ離れず折々人やりならぬ胸こがるゝ夕もあらむと覺え侍る。これなむえ保つまじく賴もしげなき方なりける。さればかのさがなものも思ひいである方に忘れ難けれど、さし當りて見むには煩はしく、ようせずはあきたき事もありなむや。琴の音すゝめりけむかどかどしさも好きたる罪重かるべし。この心もとなきも疑ひ添ふべければいづれと遂に思ひ定めずなりぬるこそ世の中や。唯かくぞとりどりにくらべ苦しかるべき。このさまざまのよき限を採り具し、難ずべきくさはひまぜぬ人はいづこにかはあらむ。吉祥天女を思ひかけむとすれば法けづきくすしからむこそ又わびしかりぬべけれ」とて皆笑ひ給ひぬ。「式部が所にぞ氣色ある事はあらむ。少しづゝ語り申せ」と責めらる。「しもがしもの中には、なでふ事か聞しめし所侍らむ」といへど、頭の君、「まめやかに遲し」と責め給へば、何事を取り申さむとおもひめぐらすに、「まだ文章のしやうに侍りし時、賢き女のためしをなむ見給へし。かのうまのかみの申し給へるやうにおほやけ事をも言ひ合せ私ざまの世にすまふべき心おきてを思ひ煩らさむ方もいたり深くざえのきはなまなまの博士耻しくすべてくちあかすべくなむ侍らざりし。それはある博士の許に學問などし侍るとて罷り通ひし程に、あるじのむすめども多かりと聞き給へてはかなき序にいひよりて侍りしを、親聞きつけて盃もて出でゝ、我が二つの 道謠ふを聞けとなむ聞えごち侍りしかど、をさをさうちとけてもまからず、かの親の心を憚りてさすがにかゝづらひ侍りし程に、いと哀に思ひ後み寢覺のかたらひにも、身の才つきおほやけに仕うまつるべき道々しき事を敎へていと淸げにせうそこ文にもかんなといふものを書きまぜずむべむべしく言ひまはし侍るに、おのづからえ罷り絕えでその者を師としてなむわづかなる腰折文作る事など習ひ侍りしかば今にその恩は忘れ侍らねど、懷しきさいしとうち賴まむに無才の人なまわろならむふるまひなど見えむに耻しくなむ見え侍りし。まいて君だちの御爲にはさしもはかばかしくしたゝかなる御後見は、何にかせさせ給はむ。はかなし口惜しとかつ見つゝも唯我が心につき宿世のひく方侍るめればをのこしもなむ仔細なきものは侍るめる」と申せば殘をいはせむとて「さてさてをかしかりける女かな」とすかい給ふを、心はえながら鼻のわたりをごめきて語りなす。「さていと久しく罷らざりしに物のたよりに立ち寄りて侍れば、常のうちとけ居たる方には侍らで心やましき物越にてなむ逢ひて侍りし。ふすぶるにやとをこがましくも又よきふしなりとも思ひ給ふるに、このさかし人はた輕々しき物怨じすべきにもあらず。世のだうりを思ひとりて恨みざりけり。聲もはやりかにていふやう、月比ふ病重きにたへかねて極ねちの草藥をぶくしていとくさきによりなむえたいめん給はらぬ、まのあたりならずともさるべからむ雜事等はうけ給はらむといと哀にむべむべしく言ひ侍り。いらへに何とかは言はれ侍らむ、唯うけ給はりぬとて立ち出で侍るに、さうざうしくや覺えけむ、この香失せなむ時に立ちより給へと高やかにいふ を聞きすぐさむもいとほし。暫し立ち休らふべきにはた侍らねば、實にそのにほひさへ華やかに立ち添へるもすべなくて、にげめをつかひて
さゝがにのふるまひしるき夕暮にひるますぐせといふがあやなさ、いかなることつけぞやと、いひも果てず走り出で侍りぬるに、追ひて
逢ふことの夜をし隔てぬ中ならば、ひる間もなにかまばゆからまし、さすがに口疾くなどは侍りき」としづしづと申せば、君だちあさましと思ひて「そらごと」とて笑ひ給ふ。「いづこのさる女かあるべき。おいらかに鬼とこそ向ひ居たらめ。むくつけき事」とつまはじきをして「言はむ方なし」と式部をあばめにくみて、「少しよろしからむ事を申せ」と責め給へど、「これより珍しき事は候ひなむや」とてをりぬ。「すべて男も女もわるものは僅に知れる方の事を殘なく見せ盡さむと思へるこそいとほしけれ。三史五經の道々しき方を、明かに曉りあかさむこそ愛敬なからめ。などかは女といはむからに、世にある事の公私につけてむげに知らず至らずしもあらむ。わざと習ひまなばねども少しもかどあらむ人の耳にも目にもとまる事じねんに多かるべし。さるまゝにはまんなを走り書きて、さるまじきどちのをんなぶみに半過ぎて書きすくめたる、あなうたてこの人のたをやかならましかばと見ゆかし。心地にはさしも思はざらめど、おのづからこはこはしき聲に讀みなされなどしつゝ殊さらびたり。これは上臈の中にも多かることぞかし。歌詠むと思へる人の、やがて歌にまつはれをかしきふる事をも始よりとりこみつゝ、すさまじき折々よみかけたるこそ物しきことなれ。返しせ ねばなさけなし。えせざらむ人ははしたなからむ。さるべき節會など五月のせちに急ぎ參るあした何のあやめも思ひしづめられぬにえならぬ根をひきかけ、九日の宴にまづ難き詩の心を思ひめぐらし、暇なき折に菊の露をかこちよせなどやうのつきなきいとなみに合せ、さならでもおのづから實に後に思へばをかしくも哀にもあべかりけることの、その折につきなく目にもとまらぬなどを推し量らずよみ出でたる、なかなか心後れて見ゆ。萬の事に、などかはさてもと覺ゆる折から、時々思ひわかぬばかりの心にては、よしばみなさけたゝざらむなむめやすかるべき。すべて心に知れらむ事をも知らず顏にもてなし、言はまほしからむ事をも一つ二つのふしはすぐすべくなむあべかりける」などいふにも、君は人ひとりの御有樣を心の中に思ひ續け給ふ。これは足らず又さし過ぎたる事なく物し給ひけるかなと、ありがたきにもいとゞ胸ふたがる。何方によりはつともなくてはてはては怪しき事どもになりて明し給ひつ。
Índice
Dentro de esta edición
- 01Full text
- 02桐壷
- 03箒木
- 04空蟬
- 05夕顏
- 06若紫
- 07末摘花
- 08紅葉賀
- 09花宴
- 10葵
- 11賢木
- 12花散里
- 13須磨
- 14明石
- 15澪標
- 16蓬生
- 17關屋
- 18繪合
- 19松風
- 20薄雲
- 21槿
- 22少女
- 23玉鬘
- 24初音
- 25胡蝶
- 26螢
- 27常夏
- 28篝火
- 29野分
- 30行幸
- 31藤袴
- 32眞木柱
- 33梅枝
- 34藤裏葉
- 35若菜上
- 36若菜下
- 37柏木
- 38橫笛
- 39鈴蟲
- 40夕霧
- 41御法
- 42幻
- 43匂宮
- 44紅梅
- 45竹河
- 46橋姬
- 47椎本
- 48總角
- 49早蕨
- 50寄生
- 51東屋
- 52浮舟
- 53蜻蛉
- 54手習
- 55夢浮橋
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