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日本語 BooksWhale エディション · 夏目漱石

孤独、信頼、罪悪感、近代の精神を、静かな語りの中で深く掘り下げる夏目漱石の代表作。

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本の紹介

こころ

『こころ』は「先生」と「私」の関係を通じて、友情、裏切り、罪悪感、近代人の孤独を描きます。大きな事件よりも心の揺れに焦点を当て、沈黙と告白のあいだにある人間の弱さを静かに照らし出す作品です。

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夏目漱石は1916年没。原文テキストは公版として扱える作品です。

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こころ

夏目漱石

プレビュー章上 先生と私プレビュー

上 先生と私

プレビュー章プレビュー

私わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。

私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に二に、三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧すすまない結婚を強しいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固もとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。

学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留とまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。

宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷なわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。

私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻くすぶり返った藁葺わらぶきの間あいだを通り抜けて磯いそへ下りると、この辺へんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑にぎやかな景色の中に裹つつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらを跳はね廻まわるのは愉快であった。

私は実に先生をこの雑沓ざっとうの間あいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばを拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風ふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外ほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹しおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子や傘かさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいを脱ぬぎ棄すてる事にしていた。

目次

このエディションの内容

  1. 01Full text
  2. 02上 先生と私
  3. 03
  4. 04
  5. 05
  6. 06
  7. 07
  8. 08
  9. 09
  10. 10
  11. 11
  12. 12
  13. 13十一
  14. 14十二
  15. 15十三
  16. 16十四
  17. 17十五
  18. 18十六
  19. 19十七
  20. 20十八
  21. 21十九
  22. 22二十
  23. 23二十一
  24. 24二十二
  25. 25二十三
  26. 26二十四
  27. 27二十五
  28. 28二十六
  29. 29二十七
  30. 30二十八
  31. 31二十九
  32. 32三十
  33. 33三十一
  34. 34三十二
  35. 35三十三
  36. 36三十四
  37. 37三十五
  38. 38三十六
  39. 39中 両親と私
  40. 40
  41. 41
  42. 42
  43. 43
  44. 44
  45. 45
  46. 46
  47. 47
  48. 48
  49. 49
  50. 50十一
  51. 51十二
  52. 52十三
  53. 53十四
  54. 54十五
  55. 55十六
  56. 56十七
  57. 57十八
  58. 58下 先生と遺書
  59. 59
  60. 60
  61. 61
  62. 62
  63. 63
  64. 64
  65. 65
  66. 66
  67. 67
  68. 68
  69. 69十一
  70. 70十二
  71. 71十三
  72. 72十四
  73. 73十五
  74. 74十六
  75. 75十七
  76. 76十八
  77. 77十九
  78. 78二十
  79. 79二十一
  80. 80二十二
  81. 81二十三
  82. 82二十四
  83. 83二十五
  84. 84二十六
  85. 85二十七
  86. 86二十八
  87. 87二十九
  88. 88三十
  89. 89三十一
  90. 90三十二
  91. 91三十三
  92. 92三十四
  93. 93三十五
  94. 94三十六
  95. 95三十七
  96. 96三十八
  97. 97三十九
  98. 98四十
  99. 99四十一
  100. 100四十二
  101. 101四十三
  102. 102四十四
  103. 103四十五
  104. 104四十六
  105. 105四十七
  106. 106四十八
  107. 107四十九
  108. 108五十
  109. 109五十一
  110. 110五十二
  111. 111五十三
  112. 112五十四
  113. 113五十五
  114. 114五十六

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